底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

広くて狭くて見えて見えない

ありがたいことに、毎日文章を書かせていただいている。

知らないことを知って書こうと知識を詰め込むと、脳がゆだるような熱を持つ。その熱はじっとしていたらどんどんと上がっていくから体を動かさないといけないのだけれど、そうしている間は文章を書けないから、朝早く起きて、資料を読んで頭の中に入れて、歩くか、走るか、自転車を飛ばすかする。

ゆだる頭で知識という素材をじっくりことこと煮込むと、何かしらできあがる。理解できなかったことが理解できたり、悩んでいた部分の答えを見つけたり、ただの米がごちそうに思えるほど空腹になったり。と言いつつ、こういうモードに入ると、食事がすごくストイックになる。「ここ最近はりんごとキャベツとプロテインで生きている」と話したら、「いつでもごはん食べにおいで」と言ってもらえた。貧乏だから食べられないわけではないのだけれど、ありがたいし何だか面白いので食べに行く。私のおなかを満たすために用意された暖かい食事は、この上なく美味しい。めちゃくちゃ食べるのでびっくりされる。なぜか、脳が書くことに没頭するモードになると、おなかが空いて仕方がない。動き回るから余計に空く。自分で自分が男子高校生みたいだと思うこともしばしば。

寝ても覚めても書くことと書きたいことで頭はいっぱいで、だから、ずっと脳が熱い。だから、ベッドの上には資料が散らかっている。寝る直前まで、起きてすぐ、読みたいし書きたい。

今日も書いていた。ベッドの上にうつ伏せで寝転がって上体を持ち上げて、資料を広げて、あれはどうだこれはどうだと分けて探して読んで、書いて。

疲れた、と思って、目を閉じて、上体をベッドに落とした。資料の上に顔が乗って、コピー用紙の匂いとインクの匂いがした。それはベッドよりもひんやりとしていたけれど、すぐに私の熱でぬくもった。

それが何だか気持ちよくて、ぼんやりした気分で目を開けると、視界を埋め尽くす文章がそこにあった。印刷された整ったフォント、殴り書きしたメモ、内容を手書きでまとめた方眼紙。たくさんの言葉がそこにあって、それらはすべて私が書いたもので。嬉しくて、おかしくて、ひとりなのに声を出して笑ってしまった。

人と話していると、私は本当におかしなぐらい文章のことしか考えていないのだなぁと思う。なんでこんなに書くことが好きなのだろうと考えて、ああそうかと思ったことがひとつあって、それは「言いたいことが言える」ということだった。

私はこれまでの人生、何度も社会的に殺されてきた。

「言葉の定義を考える」というマイブームの中、社会的に殺されるということの定義を考えてみたところ、「発言権を失う」という結論に至った。

辛いことを辛いと言えない。怖いことを怖いと言えない。好きなものを好きと言えない。言ったらこっぴどく怒られて、「あなたがそんなんだからひどい目に遭っても仕方ない」と言われるから。ひどい目に遭って仕方ない人間になりたくないから、ひどい目に遭いたくないから、言わなくなる。

誰も奪っている自覚なんてない。賢く生きることを教えているつもりなんだと思う。

けれど、賢く生きるなんてこの世界の誰にもできっこない。「賢い」という言葉は結果についてくるもので、結果のわからない今に対して「賢くする」ことはできない。事実、賢く生きているつもりの人が、愚かにも不幸に陥っているじゃないか。賢く生きようとすることが最も愚かなんだ、と、思う。

それに気付くと、愚かな生き方に拍車が掛かった。どれだけ賢く生きたって結果が出なければ愚かだし、どれだけ愚かに生きたって結果を出せたら賢いんだから、好きにすればいいじゃない、なんて。

インターネットの世界は広い。世界中を見ることができる。

インターネットの世界は狭い。見たいものしか見えない。

この世界はどこまでも矛盾だらけで、だから、自分の言葉を発したい。

辛いこと、怖いこと、苦しいこと、悲しいこと、楽しいこと、嬉しいこと。すべて言葉にして、誰かに伝えたい。伝わった人と一緒に笑いたい。社会の中で生きたい。

こんな年齢になってこんな誰もが知っていそうなことを知るなんて、私は愚か者なんだと思う。愚か者は愚か者らしく愚かに生きていこうと思う。

さて、そろそろ仕事に戻ろう。自分にしかできないことがある世界はでっかい宝島に見えて、だから、今こそアドベンチャーするときなのだと思っている。

広くて狭くて見えて見えない

ありがたいことに、毎日文章を書かせていただいている。

知らないことを知って書こうと知識を詰め込むと、脳がゆだるような熱を持つ。その熱はじっとしていたらどんどんと上がっていくから体を動かさないといけないのだけれど、そうしている間は文章を書けないから、朝早く起きて、資料を読んで頭の中に入れて、歩くか、走るか、自転車を飛ばすかする。

ゆだる頭で知識という素材をじっくりことこと煮込むと、何かしらできあがる。理解できなかったことが理解できたり、悩んでいた部分の答えを見つけたり、ただの米がごちそうに思えるほど空腹になったり。と言いつつ、こういうモードに入ると、食事がすごくストイックになる。「ここ最近はりんごとキャベツとプロテインで生きている」と話したら、「いつでもごはん食べにおいで」と言ってもらえた。貧乏だから食べられないわけではないのだけれど、ありがたいし何だか面白いので食べに行く。私のおなかを満たすために用意された暖かい食事は、この上なく美味しい。めちゃくちゃ食べるのでびっくりされる。なぜか、脳が書くことに没頭するモードになると、おなかが空いて仕方がない。動き回るから余計に空く。自分で自分が男子高校生みたいだと思うこともしばしば。

寝ても覚めても書くことと書きたいことで頭はいっぱいで、だから、ずっと脳が熱い。だから、ベッドの上には資料が散らかっている。寝る直前まで、起きてすぐ、読みたいし書きたい。

今日も書いていた。ベッドの上にうつ伏せで寝転がって上体を持ち上げて、資料を広げて、あれはどうだこれはどうだと分けて探して読んで、書いて。

疲れた、と思って、目を閉じて、上体をベッドに落とした。資料の上に顔が乗って、コピー用紙の匂いとインクの匂いがした。それはベッドよりもひんやりとしていたけれど、すぐに私の熱でぬくもった。

それが何だか気持ちよくて、ぼんやりした気分で目を開けると、視界を埋め尽くす文章がそこにあった。印刷された整ったフォント、殴り書きしたメモ、内容を手書きでまとめた方眼紙。たくさんの言葉がそこにあって、それらはすべて私が書いたもので。嬉しくて、おかしくて、ひとりなのに声を出して笑ってしまった。

人と話していると、私は本当におかしなぐらい文章のことしか考えていないのだなぁと思う。なんでこんなに書くことが好きなのだろうと考えて、ああそうかと思ったことがひとつあって、それは「言いたいことが言える」ということだった。

私はこれまでの人生、何度も社会的に殺されてきた。

「言葉の定義を考える」というマイブームの中、社会的に殺されるということの定義を考えてみたところ、「発言権を失う」という結論に至った。

辛いことを辛いと言えない。怖いことを怖いと言えない。好きなものを好きと言えない。言ったらこっぴどく怒られて、「あなたがそんなんだからひどい目に遭っても仕方ない」と言われるから。ひどい目に遭って仕方ない人間になりたくないから、ひどい目に遭いたくないから、言わなくなる。

誰も奪っている自覚なんてない。賢く生きることを教えているつもりなんだと思う。

けれど、賢く生きるなんてこの世界の誰にもできっこない。「賢い」という言葉は結果についてくるもので、結果のわからない今に対して「賢くする」ことはできない。事実、賢く生きているつもりの人が、愚かにも不幸に陥っているじゃないか。賢く生きようとすることが最も愚かなんだ、と、思う。

それに気付くと、愚かな生き方に拍車が掛かった。どれだけ賢く生きたって結果が出なければ愚かだし、どれだけ愚かに生きたって結果を出せたら賢いんだから、好きにすればいいじゃない、なんて。

インターネットの世界は広い。世界中を見ることができる。

インターネットの世界は狭い。見たいものしか見えない。

この世界はどこまでも矛盾だらけで、だから、自分の言葉を発したい。

辛いこと、怖いこと、苦しいこと、悲しいこと、楽しいこと、嬉しいこと。すべて言葉にして、誰かに伝えたい。伝わった人と一緒に笑いたい。社会の中で生きたい。

こんな年齢になってこんな誰もが知っていそうなことを知るなんて、私は愚か者なんだと思う。愚か者は愚か者らしく愚かに生きていこうと思う。

さて、そろそろ仕事に戻ろう。自分にしかできないことがある世界はでっかい宝島に見えて、だから、今こそアドベンチャーするときなのだと思っている。

とげとげ好き

「私はPTSDです」とリアルの世界で軽々しく言い触らすようになって、大体5か月ぐらい経つ。

このブログで使うような、隠さなければ生きていけないと思っていたとげとげしい物言いや人格が、ぽろぽろと実生活でこぼれるようになった。

逆に、ブログで書く文章が少し砕けてきたようにも思う。

以前は「こういう文体で書かなければ」「こういう人間でなければ」という強迫観念のようなものがあった。

思い返してみれば、『例の記事』が拡散された年は、「自らの考えを広めるためには、インターネットで拡散される記事を書かなくては」と思っていたようにも思える。話題に乗らなければという浅ましい居心地の悪さを自覚しながら、どうしても、助かりたかったし助けたかった。

その次の年、一昨年は、独りになった辛さと「文章を書いて生きたい」という欲望に塗れながら、何もかもに喰らいついていた。仕事か、交流会か、小説を書くか。それにすべての日を費やした。辛いことが多かった。辛すぎて歩けなくなった日は泣きながら太腿を殴った。痛かったけど、歩けた。死ななければ何とかなるもんだと思った。ブログはあまり書いていなかった。何を書けばいいのかわからなかった。

去年は、私に執着していた「怖い人」に、何とか間接的に嫌悪感を伝えられたらと願ってブログを書いていた時期が長かった。怖すぎて、直接は話せなかった。私のブログを毎日読んでいたらしいのに、伝えたいことは伝わらなかった。最後ようやく本人と話せたとき、「アンチみたいな読み方するんですね」と伝えたことは覚えている(「ブログにアンチがついているの凄い」と褒められたことがあった)。
多分もうその人はブログを読んでないと思うからこそこうして書いているんだけど、本当に怖かった。去年の私をずっと見守ってくれていた友人は、「生きていてくれて良かった」と喜んで、「仕事だけじゃなくて自分も大事にして」と怒った。愛のある叱責は嬉しくて仕方がないものだと知った。

今は、好き勝手書いている。

私が人当りの良い人を演じても、私を嫌う人は嫌う。

私がとげとげしい人間だとわかっても、好いてくれる人は好いてくれる。

PTSDです」と軽々しく語る私を認めて尚、一緒にご飯を食べて笑ってくれる人が割とたくさんいる。「むしろ今の方が良い」って言ってくれる人も結構いる。

私は、仕事と文章以外を大事に扱ってこなかった。できなかった。文章はみんなが褒めてくれるから自信があるけれど、私という人間本体の自信はからっきしだから、大切にされなくて当然だと思っていた。

私という人間本体を可愛がってもらって、大事にされて、ようやく少しずつ大事にできるようになってきた。私が傷ついたら、私を大事にしている人が傷つく。そう思えてようやく、自分の声とか、顔とか、そういうものが脳内に描けるようになってきた。これまで描けなかった。脳内には私の代理人がいて、その人が私だった。私って結構女っぽい声してるんだな、と、最近になって思った。

私は私という性質のまま生きて、だからこそ書ける文章を書いて生きて、そうして見つけた大事なものを大事にして生きていきたいと今は思う。来週どう思ってるかは知らないけど、今は思う。

ところで私は射手座なのだけれど、しいたけ占いによると、今週は「ボコボコにしていってやる」とか、乱暴な台詞をつぶやくべき週らしい。

voguegirl.jp

「占いは絶対!」「妄信!」という感じではないけれど、星の流れとか、引力とか、なんだかんだで影響があると思っている。星の逆行は意識してスケジュールを組んだりしている。

最近は見るだけではなく、星を読む勉強もしている。インタビューした人の出生ホロスコープを読んでお渡ししてみたところ、「結構当たっている」と言われた。うれしい。

毎週チェックしているしいたけ占い。今週は特に、私のことをどこかで見ているのかと思うようなことが書いてあるから、アドバイスに従ってみようと思う。

ボコボコにしてやるし、私は私のままで面白い景色を見せていってやる。見てろよ。

憂鬱

仕事はとても楽しいけれど、確定申告は憂鬱だ。

友達付き合いは楽しいけれど、恋とか愛とか嫉妬とかは憂鬱だ。

どれもこれも、合っている自信を持てるものは楽しくて、持てないものは憂鬱だ。不安に打ち勝つことはできても、楽しむことはできないし、それに他者が加われば途端に戦意がなくなってしまう。怖くなる。憂鬱だ。「太田胃散と救心が手放せない」と笑い話で言ったつもりが、割と本気で心配されてしまった。大丈夫、良い薬です。

文章を売ることを生業にして本当に良かったと思う。仕事をすればするほど自信が持ててしまって、傲慢になりやしないかと不安になることもある。適切な自信と傲慢の見極めは、きっと他者しかできない。そしてその判断は、人によって異なる。私を傲慢だという人もいるだろうし、能力相応だと言う人もいるだろうし。誰を信じるかとなると、自分が好きだと思える人を信じる訳だけれども、「自分が好きだと思う人を信じる」という選択すら傲慢ではないかと思いあぐねることもある。結局、人という性質の正当評価なんてものは存在していなくて、その人とその周囲が過ごす環境がどうなっているのかという結果が評価になるのだろう。けれど、そうなると、私と私の周囲が良く過ごしていたとて、私の環境の隣に環境を築く人の環境がどうなっているのかということも、評価に繋がるのではないだろうか。全体は部分であり、部分は全体であり、全体は部分である。結局、結果を以てしても人という性質を正当に評価するなんてことは、できないのだろう。そうなると、傲慢と評価されるものですら、必ずしも悪質ではないのかもしれない。傲慢と評価したその人が傲慢だっただけかもしれない。「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいと思わんかね」という有名な漫画の台詞を思い出す。生き死にに限らず、人間が生き物を正当に評価できると思うことすらおこがましいのかもしれない。だからこそ、他者評価なんて気にせず、傲慢だおこがましいと言われようと、自分の生きたいように生きるのが生き物として自然なのだと思う。だから私は今、今まで生きてきた中で、一番自然に生きているのだと思う。

インターネットで確定申告をしようと思い立ってみたものの、結局不安に負けて税務署に直接提出しに行こうと決心したものの、来週いっぱいハードスケジュール過ぎて心が折れそうになり、少し心を休めようと思うままに書き殴ってみた。確定申告はどうしてこんなに怖いのだろう。そうそう間違ってしまうことなんてないからさっさと出したらいいのに、明日にしよう明日にしようと先送りにして余計に辛い思いをする。仕事だったら自信を持って提出できるのに、どうして公的な書類はこんなにも怖いのだろう。自信がないからだとわかっている。わかっているから逃げたい。けれど逃げられない。これが社会だ。社会正義は在れど、社会は決して正義ではない。正当な評価が存在しないのと同じように、絶対的な正義も存在しない。知っている。わかっている。知っていて今日も生きている。これぞ社会人。社会不適合者から社会人になれたかと思うと感慨深い。

不安や不満や自己嫌悪や自己憐憫や自尊心や、そうしたものの中で今日も生きている。それを余すことなく感じ取っている今、正しいかどうかはさておき、私の心はとても充足している。ところで、もし、恋のときめきによる激しい動悸の最中に救心を飲んだらその恋はどうなるのだろうか。恋ではなくなるのだろうか。そもそも恋とは何なのだろうか。こんな年齢になって初めて、そんな原始的な問題と向き合うことになろうとは思わず、毎日がストレスフルで憂鬱だ。

不幸になれない仕事

www.maskednishioka.com

「お金以外のモノ」が欲しくて今の仕事をしている私にとって、すごく色々考えたこのブログ。

otonanswer.jp

上のブログ記事で紹介されているこの記事では、「お客さまからの「ありがとう」」が「お金以外のモノ」されている。

www.daremomiteinai.com

もうひとつ紹介されているこの記事では、「自らの作品が評価されて世に出ること」が「お金以外のモノ」とされている。

 

すごくわかる。

私も今の仕事で、どちらもいただいている。

感謝と、信頼と、自信と、やりがいと、執筆力と、知識と、自由と。数え切れない「お金以外のモノ」をいただいて、私は働いている。

だから働いている時間も楽しいし、余暇も楽しい。ずっと楽しいから気分が良くって、毎日のご飯がとにかく美味しい。高いお金を払わなくてもご飯が美味しい生活って、すごい。高いお金を払って良いものを食べたらさらに美味しいって、すごい。そのお金を自分が作った商品で稼げるって、すごい。すごくお金持ちではないけれど、こんなに自由に生きているのにたまに散財できるぐらいは余裕があるって、すごい。

語彙力を失って説明すると、何だかよくわからないけれどすごい。私がすごいのではなくて、幸せがすごい。すごい幸せ。すごい健康。生きてきた中で今が一番元気。「これが……俺の本当の力……!?」と厨二ごっこができるぐらい元気。小学生の子に「ちょっと落ち着いて」と言われるぐらい走れる。アスレチックとか行きたい。くたくたになるまで動き回ってみたいと生まれて初めて思えている。すごい。色々あったけれど、それがあって今があるのだから全部ひっくるめて良かったと思える。「お金以外のモノ」って、本当にすごい。おわかりいただけただろうか。

 

自営業を始めて、自営業者や経営者の方とのお付き合いが非常に増えた。

そうした方々の中にも「お金だけを利益として換算する人」と「お金以外のモノを利益として考える人」がいる。

お金だけを利益として換算して働くことは悪いことではないし、上手にお金を生み出す仕組みを作れたら余暇が充実する訳だし、それはそれでひとつの幸せな人生だと思う。

けれど、私の周りだけの話をすると、前者で成功している人はいない。

最初の方はうまく行っていても、どこかで頭を打って転落していく。

そうして「お金以外のモノ」に価値を見出して経営方針を転換して業績が上がったという話もよく聞く。フリーランスのみならず、中堅規模の経営者にもこうした経験をしてきた方がとても多いようす。

こうした話をされる方は、口をそろえて「今の方が人生が楽しい」とおっしゃる。「お金以外のモノ」に価値を見出すことで、人生は豊かで幸せなものになるんだろう。私は彼らにそれを教えられた。ただ生活していては知ることのなかった知恵をいただけることも、「お金以外のモノ」だと思う。

 

ここからは愚痴が大いに混ざる。

今の私が友人として交流している経営者の方々は、後者ばかりで。前者の方々は、私のような人間を理解できないらしいので、そもそもお付き合いが成り立たない。

前者系の方と二人で食事に行ったときに「小説家になりたいです」と話したことがあった。

「一攫千金を狙ってるんですか?今の出版業界は儲からないですよ。知り合いの知り合いに○○という有名作家がいるんですけどその人が言うには……」と聞いてもないのに語り出した。「無粋だな」と思ったけれど、その人は「それでお金を稼ぎたいんだったら浅はかだよ」と言いたかったんだと思う。

「一生、文章を書いて生きていくために作家になりたいんです。ライターの仕事があって、作家の仕事があったら、何かを書いていたら一生食べていけるでしょう。一般的な月給ぐらい稼げたらいいんです。ずっと書いていたいんです」と返した。「理解できない」という顔をされた。わかってくれとは言わないけれど、そんな顔しなくったっていいじゃない。

この会話はその人と初めて二人で食事をした時の会話だったけれど、私は二度とこの人と二人で食事したくないな、すごく憎い訳じゃないけどなんとなく嫌いってこういう気持ちなんだな、仕事の関係者だから付き合いは続けなければならないけどあんまり関わりたくないな、と思った。けれど、なぜか好かれてしまって付き纏われた。げにおそろしきは人の心なりけり。

この人は現在、仕事でもプライベートでも頭を打っている。

「あなたの文才はギフトなんですよ、僕には何もないから羨ましいです」と散々言われた。「天賦の才ではないですよ」と繰り返し伝えたのに、頑なに私の努力を認めようとしなかった。書いた文章をけなされるよりも、「努力してないくせにうまくやりやがって」と言われることが一番腹が立つな、と、この人のおかげで気付けた。人のことを「嫌い」と思うのはとても久しぶりだった。

この人は大問題を起こした。

「嫌い」が「憎い」になった。

そして私の方がその界隈から逃げ出した。

だから、今は関わらずに済んでいる。だから、ご飯が美味しい今がある。

その人が今もまだ幸福ではないことは伝聞で知っている。

あまりにも必死に幸福を求めて右往左往しているようで、最近、「憎い」が「可哀相」になった瞬間があった。

私はこの人が幸福に寄ることのできる情報を持っている。伝えてみようかとつい先日がんばってみたけれど、伝えることはできなかった。

この人は、私が怒っていることを知っている。だから私からは何も聞きたくないんだろう。けれど、もし、それを知っていてなお私の言葉に耳を貸してくれたら、少しだけ。そう思ったけれど、無駄だった。きっと、今は何も見えなくなっているんだろうと思う。

悪い人ではなかった。馬鹿な人でもなかった。「お金以外のモノ」が理解できないだけだった。

もし、仕事の中で、生活の中で、「お金以外のモノ」を理解して、誰かと与え合うことができていたら、きっと息の長い幸福を得られたのだろうなと思う。

お金以外のモノだけでは食っていけないけれど、お金だけでは幸せになれない。幸せに生きることはとても難しい。

もしかしたら私もどこかで頭を打つかもしれない。文章の仕事が絶対になくならないだなんて保証はどこにもない。何があるかわからない。

けれど、そうなったとしても仕事を通じて知り合った、信頼できる友人たちがいてくれる。今も、私がライター1本でやっていけるようにと、仕事を持ってきてくれる人もいる。そこまでしてくれる友人が、仕事がなくなったからと言って友人でなくなる、なんてことはないだろう。

それだけで私は不幸にはなりきれない。多分、これからずっと幸せだと思う。

そんな自信がいただける仕事って、本当に素敵だと思う。

暗黙の恐怖政治の傍観と報道

今日は8時間ほど、休憩を挟まずにずっと友人と話をしていた。

夕方から別の知人と会う約束が入ったので、昼から家でお茶をしようと約束していた友人を朝から呼び出した。友人到着5分前に、知人から「明日にしてください」と予定変更願いの連絡が来た。朝の10時前だった。

友人はもともと夕方まで居てくれる予定だったので、それまで時間が空いていた。「帰りたくなったら帰るよ」と言っていた彼女は、18時に我が家を後にした。

2018年の振り返りと、2019年の希望をたくさん話し合った。

何かあったら些細なことでもすぐに連絡する間柄だから、辛いことも嬉しいことも、その時々、すぐに話をしている。だから改めて報告することはなかったけれど、お互いに、「あなたのおかげで前向きに過ごせたよ」と確認し合う時間は、とても喜ばしかった。

独立してからずっと、私は自分自身の「社会の立ち位置」を模索し続けていた。

去年から築いてきた関係の中で、仕事に関わる「社会」といくつか繋がっている。そのうちのいくつかの社会が、私を傷付けた。それはどれも、女性を軽んじている男性が私を女性として扱う、ということだった。

私はどう足掻いても女で、それも人よりも「女」らしい女で、けれどその中身はとても「男」らしくて、とてもアンバランスで。私自身、自分がどちららしいのかわからない。

今日話し合っていた友人は、もうずいぶんと前に、「男らしくも女らしくもあってどちらでもない、“あなた”という感じがするよ」と言ってくれた。私の性別は「私」。それを2018年、ようやく腑に落とすことができたように思う。

突き抜けて女らしくもあり、突き抜けて男らしくもある私が自分らしく振る舞うと、目立つ。かといって、どちらかを抑えようとしても、おかしくなる。何をどうしても、何かが歪む。その歪みは私の内側だけでなく外側にも影響を与えて、いつもおかしくなる。

なぜおかしくなるのか、どうすればおかしくならないのか、男性社会の中の恐怖政治から逃れて生きていけるのか。去年、独立してからずっと、それが私の課題だった。

結局、どう足掻いても逃れることはできなかった。ぼろぼろになった。その後で、その“社会”を捨てることで生き永らえた。

とても辛かったけれど、友人がずっと傍にいてくれた。辛くて苦しんでいる私を支えることを「生活の一部」みたいにして、とても大事にしてくれた。

今日、仕事の関係でいただいた「世界一美味しいクッキー」を2人で食べて笑った。

どんなに傷付いても、生き永らえて良かったと思った。彼女がいたから、どれだけ孤立しても、生きていくことを最優先しようと心に決めて走り出すことができた。孤立しても、死ぬまで生きてやろうと思えた。

そうして今日まで生きてきたおかげで、昨日、このニュースに出会えた。

www.asahi.com

貰いもののテレビ。朝、ニュースが流れるように設定して、目覚まし代わりにしている。昨日の朝、私を起こしたのはこのニュースだった。

酷い、とか、許せない、とか、そういうことを思う前に涙がこぼれた。

男性社会の暗黙の恐怖政治。それに屈するしかできなかった女性たち。その存在の報道に、胸が苦しくなった。

「出会えた」そう思えたのは、このニュースを報道しようと思い至ったライターが男性だった、ということだった。

この報道記事を書いたライターは当事者ではないらしい。10年も前からこうしたことが起こっていることを知っていて、「男女の問題に口は出さないでおこう」とスルーしていたらしい。

それを今になって報道記事にしたのは、 #me too運動が大きくなったことをきっかけに、「傍観することは加害に加担している」と思ったらしい。

そうして、報道するに至ったそうだ。

私は、一生をかけて、孤立してでも、暗黙の恐怖政治と戦っていくしかないのだと思っていた。それでしか生きられない性質なのだから、どうせ死ぬなら戦って死のうと思った。

そんな覚悟を決めた中で、「そうした男性が存在する」ということが、とてもとても、嬉しかった。涙は気付けば嬉し涙に変わっていた。

今繋がりが続いている社会の中にも、素晴らしい男性はたくさんいる。

助けてくれた男性もいる。支えてくれた男性もいる。

「あなたは綺麗だからそうなるんだ。女性としての自信を持って堂々と振る舞いなさい」と言ってくれた男性もいる。

そうして周りの目を気にせず女性らしく振る舞うと、やはり目立つので、それを疎ましく思っているだろう女性から何かしら言われることもある。もっと目立たないように振る舞え、というような。

そしてまた落ち込み、どうすればいいかわからなくなっている時に、女性である友人がいつも励ましてくれた。「最近のあなたは前よりとっても綺麗だから、そのままで大丈夫」と言って。

私は自分の顔があまり好きではない。絶世の美女でもないくせに、トラブルばっかり引き起こす。けれど、好きな人が褒めてくれるのだからと、最近、少しずつ自分の顔を認められるようになってきた。こういう顔もアリなのかな、と。

こんなにも人に恵まれて、私はようやく今の自分になることができた。良識を持ち、法の下で心のままに生きる。人にとっては当たり前かもしれない、普通の生活。それを私は普通にしていては手に入れられなかった。やっと、手に入れた。心身ともに、生きて来た中で今が1番健やかだ。

けれど、私はブログを通して知ってしまった。私のような目に遭って、誰にも助けられず、女性としての自信だけでなく、社会や生活、あらゆるものを失って苦しんでいる女性がいることを。

だから、自分ひとりだけが良くなっても、ハッピーエンドだと思えない。だから、助けられた分、今度は誰かを助けたいと、色々と画策を始めていた。

そんな中で、私はこのニュースと出会った。この報道が、傍観者であった男性ライターの手によるものだという情報とセットで。

すごく嬉しかった。きっとこの報道で誰かの心が助かると思った。「ありがとう」と声がこぼれたニュースは、初めてだった。

少しずつ男性&女性の社会が築かれ始めているのかもしれない。そういう希望を持てた。

これから先、良いことばかりしか起こらないなんてことは絶対にない。何があっても女性らしく堂々と振る舞うと決めた以上、何かしらトラブルに巻き込まれることはあるだろう。けれど、人権を踏みにじられたまま黙っているよりはずっといい。ただの物として死ぬぐらいなら、賊軍として死んでやる。そう覚悟すれば、あわよくば官軍になれるでしょう。

そんな話を今日一日、ずっとしていた。そんな話ができる友人がいてくれた。

何が起こっても、私は私であって良かったな、と思えた。

もうすぐ、2018年が終わる。

メリークリスマス@2018

メリークリスマスの「メリー」には、「ゆかいな」とか、そういう意味があるらしい。

年末、友人が泊まりに来る際に「テレビがなければ」ということで、テレビを設置した。別の友人がいらないテレビをくれると言っていたのを伸ばし伸ばしにしていて、ようやっと受け取ることができた。

せっかくあるので、テレビを目覚ましに使うことにした。起きたてのぼんやりとした頭に知識が飛び込んで沁み込んでくる感覚は、悪くないな、と思った。

そんな中で、私はメリークリスマスの「メリー」の意味を知った。受動的であっても知識が得られるなんて、テレビってすごいな、とぼんやりと思った。

インターネットが普及した時は「能動的に情報が得られるなんてすごい」と思った。どちらかを毛嫌いするではなく、どちらも使っていけばいいんだな、と、思った。そんな、人にとってはものすごく当たり前だろうことを、あたかも閃きのように思う自分がおかしくて、起き抜けに笑った。独り暮らしは、楽しい。

 

今年はそこまで忙しくないけれど、なんだかんだ仕事のようなことをしている。ふと、去年は何をしていたか思い返してみて、やはり仕事をしていたなと思い出す。

納期が切羽詰まっていた案件をこちらに振られて、特に予定もなく「やります」と答えたところ、「クリスマスの日にまで、ごめんね」と言われた。「そういえばクリスマスだった」とそこで気付いた。

これまで生きてきてすごく良かったクリスマス、という思い出がない。クリスマスを理由にしてその時々の恋人とデートスポットに出かけることもあったけれど、そこで特段ロマンチックなことは何もなかった。街がいつもより賑わっているぐらいだった。

大勢がこんなにも楽しんでいるんだから私ももっと楽しめるはずだと過度な期待をして、頑張って、疲弊した。

子どもの頃は、クリスマスは「プレゼントをねだる日」だった。けれど、自分が本当に欲しいものが何なのかわからなかった。高価なものはどうせもらえないから、もらえない前提でとりあえずねだった。当然のように却下されるので、そのあと、私が「欲しい」と言っても誰も怒らないもの、誰かと喧嘩にならないものの中から欲しいものを選んだ。そうしているうちに欲しいものがなくなっていって、「可愛くない子ども」になっていった。

その代わり、どうしても欲しいと思ったものを見つけた時、有り得ないほどの情熱を燃やし執着する人間になった。そうして今の私がいる。可愛げがないことには変わりないけれど、まぁ、面白い人間には育ったのではないだろうか。

 

年中行事が楽しかったのは、前の夫と一緒にいる間だけだった。前の夫は、放っておいてもとにかく楽しそうに騒いでくれた。その姿を見るのが好きだった。その姿を写真に収めるのが、2人でいる間のクリスマスの楽しみ方だった。ただ、最後に一緒に過ごしたクリスマスだけは、あまり楽しくなかったと記憶している。終わりはもう見えていた。

こんなことを書くと未練があるのではと思われるかもしれないけれど、未練は本当にない。人として素晴らしい人だと今でも思うけれど、それだけ。素晴らしい人との思い出だから語りたいし、良かったと感じた心を失いたくない。ただそれだけ。

 

今日は久しぶりにとても体が元気だ。体のどこかが激しく不調な時期をしばらく過ごしていたので、起きて掃除ができるというだけで清々しい気持ちになった。

ここしばらく、外出しなければならない時は気合いで出かけていた。気合いを入れたら不思議と何とかなるもので、タスクをこなし、すべてを終えたときにぱたりと倒れるように眠る。睡眠薬なしで眠れているので、体に良いのだろうか。ものすごく悪夢を見て何度も目が覚めるので、できれば不健康でも睡眠薬で眠りたい。

家にいる日でも、食料を買いに行く元気が出なかった。ひと気のない場所であることを優先して物件を選んだので、スーパーまで自転車で行かなければしんどい距離。近くにあるのはコンビニだけ。しばらくは玄米とコーヒーだけで生きていた。外出する日は外で食べてくるから栄養的には大丈夫だろうとたかをくくっていたけど、それが今回の体調不良を長引かせた原因だったと今となっては思う。人は食べたものでできている、ということを、身をもって実感した。

そして今日、掃除を終えて、久しぶりに食料を買いに外に出た。スーパーに置いてあるお惣菜は「今日はクリスマスだからね」と言わんばかりだった。私は何の飾りもない缶詰と野菜を買い込んだ。

帰って、食料を片付けて、植物の世話をして、仕事をして。久しぶりにゆったりと過ごしている。ありがたいな、と思った。

2018年も色々なことがあった。たくさん手に入れたし、たくさん失ったし、たくさん傷付いたし、少しだけ取り戻した。そんな激流の中で生きて、それでも今こうしてどうでもいい日記が心穏やかに書けている。当たり前のように一人で過ごせているということが、ありがたくて仕方がない。

信じる者は足元を掬われるし、心を巣食われるのが世の常だけど、信じ続けていれば必ず救われるのだと信じて。今日の夕飯は鯖の水煮缶をどうにかしてみようと思う。