底辺ネットライターが思うこと

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暗黙の恐怖政治の傍観と報道

今日は8時間ほど、休憩を挟まずにずっと友人と話をしていた。

夕方から別の知人と会う約束が入ったので、昼から家でお茶をしようと約束していた友人を朝から呼び出した。友人到着5分前に、知人から「明日にしてください」と予定変更願いの連絡が来た。朝の10時前だった。

友人はもともと夕方まで居てくれる予定だったので、それまで時間が空いていた。「帰りたくなったら帰るよ」と言っていた彼女は、18時に我が家を後にした。

2018年の振り返りと、2019年の希望をたくさん話し合った。

何かあったら些細なことでもすぐに連絡する間柄だから、辛いことも嬉しいことも、その時々、すぐに話をしている。だから改めて報告することはなかったけれど、お互いに、「あなたのおかげで前向きに過ごせたよ」と確認し合う時間は、とても喜ばしかった。

独立してからずっと、私は自分自身の「社会の立ち位置」を模索し続けていた。

去年から築いてきた関係の中で、仕事に関わる「社会」といくつか繋がっている。そのうちのいくつかの社会が、私を傷付けた。それはどれも、女性を軽んじている男性が私を女性として扱う、ということだった。

私はどう足掻いても女で、それも人よりも「女」らしい女で、けれどその中身はとても「男」らしくて、とてもアンバランスで。私自身、自分がどちららしいのかわからない。

今日話し合っていた友人は、もうずいぶんと前に、「男らしくも女らしくもあってどちらでもない、“あなた”という感じがするよ」と言ってくれた。私の性別は「私」。それを2018年、ようやく腑に落とすことができたように思う。

突き抜けて女らしくもあり、突き抜けて男らしくもある私が自分らしく振る舞うと、目立つ。かといって、どちらかを抑えようとしても、おかしくなる。何をどうしても、何かが歪む。その歪みは私の内側だけでなく外側にも影響を与えて、いつもおかしくなる。

なぜおかしくなるのか、どうすればおかしくならないのか、男性社会の中の恐怖政治から逃れて生きていけるのか。去年、独立してからずっと、それが私の課題だった。

結局、どう足掻いても逃れることはできなかった。ぼろぼろになった。その後で、その“社会”を捨てることで生き永らえた。

とても辛かったけれど、友人がずっと傍にいてくれた。辛くて苦しんでいる私を支えることを「生活の一部」みたいにして、とても大事にしてくれた。

今日、仕事の関係でいただいた「世界一美味しいクッキー」を2人で食べて笑った。

どんなに傷付いても、生き永らえて良かったと思った。彼女がいたから、どれだけ孤立しても、生きていくことを最優先しようと心に決めて走り出すことができた。孤立しても、死ぬまで生きてやろうと思えた。

そうして今日まで生きてきたおかげで、昨日、このニュースに出会えた。

www.asahi.com

貰いもののテレビ。朝、ニュースが流れるように設定して、目覚まし代わりにしている。昨日の朝、私を起こしたのはこのニュースだった。

酷い、とか、許せない、とか、そういうことを思う前に涙がこぼれた。

男性社会の暗黙の恐怖政治。それに屈するしかできなかった女性たち。その存在の報道に、胸が苦しくなった。

「出会えた」そう思えたのは、このニュースを報道しようと思い至ったライターが男性だった、ということだった。

この報道記事を書いたライターは当事者ではないらしい。10年も前からこうしたことが起こっていることを知っていて、「男女の問題に口は出さないでおこう」とスルーしていたらしい。

それを今になって報道記事にしたのは、 #me too運動が大きくなったことをきっかけに、「傍観することは加害に加担している」と思ったらしい。

そうして、報道するに至ったそうだ。

私は、一生をかけて、孤立してでも、暗黙の恐怖政治と戦っていくしかないのだと思っていた。それでしか生きられない性質なのだから、どうせ死ぬなら戦って死のうと思った。

そんな覚悟を決めた中で、「そうした男性が存在する」ということが、とてもとても、嬉しかった。涙は気付けば嬉し涙に変わっていた。

今繋がりが続いている社会の中にも、素晴らしい男性はたくさんいる。

助けてくれた男性もいる。支えてくれた男性もいる。

「あなたは綺麗だからそうなるんだ。女性としての自信を持って堂々と振る舞いなさい」と言ってくれた男性もいる。

そうして周りの目を気にせず女性らしく振る舞うと、やはり目立つので、それを疎ましく思っているだろう女性から何かしら言われることもある。もっと目立たないように振る舞え、というような。

そしてまた落ち込み、どうすればいいかわからなくなっている時に、女性である友人がいつも励ましてくれた。「最近のあなたは前よりとっても綺麗だから、そのままで大丈夫」と言って。

私は自分の顔があまり好きではない。絶世の美女でもないくせに、トラブルばっかり引き起こす。けれど、好きな人が褒めてくれるのだからと、最近、少しずつ自分の顔を認められるようになってきた。こういう顔もアリなのかな、と。

こんなにも人に恵まれて、私はようやく今の自分になることができた。良識を持ち、法の下で心のままに生きる。人にとっては当たり前かもしれない、普通の生活。それを私は普通にしていては手に入れられなかった。やっと、手に入れた。心身ともに、生きて来た中で今が1番健やかだ。

けれど、私はブログを通して知ってしまった。私のような目に遭って、誰にも助けられず、女性としての自信だけでなく、社会や生活、あらゆるものを失って苦しんでいる女性がいることを。

だから、自分ひとりだけが良くなっても、ハッピーエンドだと思えない。だから、助けられた分、今度は誰かを助けたいと、色々と画策を始めていた。

そんな中で、私はこのニュースと出会った。この報道が、傍観者であった男性ライターの手によるものだという情報とセットで。

すごく嬉しかった。きっとこの報道で誰かの心が助かると思った。「ありがとう」と声がこぼれたニュースは、初めてだった。

少しずつ男性&女性の社会が築かれ始めているのかもしれない。そういう希望を持てた。

これから先、良いことばかりしか起こらないなんてことは絶対にない。何があっても女性らしく堂々と振る舞うと決めた以上、何かしらトラブルに巻き込まれることはあるだろう。けれど、人権を踏みにじられたまま黙っているよりはずっといい。ただの物として死ぬぐらいなら、賊軍として死んでやる。そう覚悟すれば、あわよくば官軍になれるでしょう。

そんな話を今日一日、ずっとしていた。そんな話ができる友人がいてくれた。

何が起こっても、私は私であって良かったな、と思えた。

もうすぐ、2018年が終わる。