底辺ネットライターが思うこと

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不幸になれない仕事

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「お金以外のモノ」が欲しくて今の仕事をしている私にとって、すごく色々考えたこのブログ。

otonanswer.jp

上のブログ記事で紹介されているこの記事では、「お客さまからの「ありがとう」」が「お金以外のモノ」されている。

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もうひとつ紹介されているこの記事では、「自らの作品が評価されて世に出ること」が「お金以外のモノ」とされている。

 

すごくわかる。

私も今の仕事で、どちらもいただいている。

感謝と、信頼と、自信と、やりがいと、執筆力と、知識と、自由と。数え切れない「お金以外のモノ」をいただいて、私は働いている。

だから働いている時間も楽しいし、余暇も楽しい。ずっと楽しいから気分が良くって、毎日のご飯がとにかく美味しい。高いお金を払わなくてもご飯が美味しい生活って、すごい。高いお金を払って良いものを食べたらさらに美味しいって、すごい。そのお金を自分が作った商品で稼げるって、すごい。すごくお金持ちではないけれど、こんなに自由に生きているのにたまに散財できるぐらいは余裕があるって、すごい。

語彙力を失って説明すると、何だかよくわからないけれどすごい。私がすごいのではなくて、幸せがすごい。すごい幸せ。すごい健康。生きてきた中で今が一番元気。「これが……俺の本当の力……!?」と厨二ごっこができるぐらい元気。小学生の子に「ちょっと落ち着いて」と言われるぐらい走れる。アスレチックとか行きたい。くたくたになるまで動き回ってみたいと生まれて初めて思えている。すごい。色々あったけれど、それがあって今があるのだから全部ひっくるめて良かったと思える。「お金以外のモノ」って、本当にすごい。おわかりいただけただろうか。

 

自営業を始めて、自営業者や経営者の方とのお付き合いが非常に増えた。

そうした方々の中にも「お金だけを利益として換算する人」と「お金以外のモノを利益として考える人」がいる。

お金だけを利益として換算して働くことは悪いことではないし、上手にお金を生み出す仕組みを作れたら余暇が充実する訳だし、それはそれでひとつの幸せな人生だと思う。

けれど、私の周りだけの話をすると、前者で成功している人はいない。

最初の方はうまく行っていても、どこかで頭を打って転落していく。

そうして「お金以外のモノ」に価値を見出して経営方針を転換して業績が上がったという話もよく聞く。フリーランスのみならず、中堅規模の経営者にもこうした経験をしてきた方がとても多いようす。

こうした話をされる方は、口をそろえて「今の方が人生が楽しい」とおっしゃる。「お金以外のモノ」に価値を見出すことで、人生は豊かで幸せなものになるんだろう。私は彼らにそれを教えられた。ただ生活していては知ることのなかった知恵をいただけることも、「お金以外のモノ」だと思う。

 

ここからは愚痴が大いに混ざる。

今の私が友人として交流している経営者の方々は、後者ばかりで。前者の方々は、私のような人間を理解できないらしいので、そもそもお付き合いが成り立たない。

前者系の方と二人で食事に行ったときに「小説家になりたいです」と話したことがあった。

「一攫千金を狙ってるんですか?今の出版業界は儲からないですよ。知り合いの知り合いに○○という有名作家がいるんですけどその人が言うには……」と聞いてもないのに語り出した。「無粋だな」と思ったけれど、その人は「それでお金を稼ぎたいんだったら浅はかだよ」と言いたかったんだと思う。

「一生、文章を書いて生きていくために作家になりたいんです。ライターの仕事があって、作家の仕事があったら、何かを書いていたら一生食べていけるでしょう。一般的な月給ぐらい稼げたらいいんです。ずっと書いていたいんです」と返した。「理解できない」という顔をされた。わかってくれとは言わないけれど、そんな顔しなくったっていいじゃない。

この会話はその人と初めて二人で食事をした時の会話だったけれど、私は二度とこの人と二人で食事したくないな、すごく憎い訳じゃないけどなんとなく嫌いってこういう気持ちなんだな、仕事の関係者だから付き合いは続けなければならないけどあんまり関わりたくないな、と思った。けれど、なぜか好かれてしまって付き纏われた。げにおそろしきは人の心なりけり。

この人は現在、仕事でもプライベートでも頭を打っている。

「あなたの文才はギフトなんですよ、僕には何もないから羨ましいです」と散々言われた。「天賦の才ではないですよ」と繰り返し伝えたのに、頑なに私の努力を認めようとしなかった。書いた文章をけなされるよりも、「努力してないくせにうまくやりやがって」と言われることが一番腹が立つな、と、この人のおかげで気付けた。人のことを「嫌い」と思うのはとても久しぶりだった。

この人は大問題を起こした。

「嫌い」が「憎い」になった。

そして私の方がその界隈から逃げ出した。

だから、今は関わらずに済んでいる。だから、ご飯が美味しい今がある。

その人が今もまだ幸福ではないことは伝聞で知っている。

あまりにも必死に幸福を求めて右往左往しているようで、最近、「憎い」が「可哀相」になった瞬間があった。

私はこの人が幸福に寄ることのできる情報を持っている。伝えてみようかとつい先日がんばってみたけれど、伝えることはできなかった。

この人は、私が怒っていることを知っている。だから私からは何も聞きたくないんだろう。けれど、もし、それを知っていてなお私の言葉に耳を貸してくれたら、少しだけ。そう思ったけれど、無駄だった。きっと、今は何も見えなくなっているんだろうと思う。

悪い人ではなかった。馬鹿な人でもなかった。「お金以外のモノ」が理解できないだけだった。

もし、仕事の中で、生活の中で、「お金以外のモノ」を理解して、誰かと与え合うことができていたら、きっと息の長い幸福を得られたのだろうなと思う。

お金以外のモノだけでは食っていけないけれど、お金だけでは幸せになれない。幸せに生きることはとても難しい。

もしかしたら私もどこかで頭を打つかもしれない。文章の仕事が絶対になくならないだなんて保証はどこにもない。何があるかわからない。

けれど、そうなったとしても仕事を通じて知り合った、信頼できる友人たちがいてくれる。今も、私がライター1本でやっていけるようにと、仕事を持ってきてくれる人もいる。そこまでしてくれる友人が、仕事がなくなったからと言って友人でなくなる、なんてことはないだろう。

それだけで私は不幸にはなりきれない。多分、これからずっと幸せだと思う。

そんな自信がいただける仕事って、本当に素敵だと思う。