底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

ブラックな記事を書いてブラックな言葉で殴られるブラックなお仕事

昨日、泣いた。これからのことが怖くなって泣いた。

これからのことと言っても、来月とか来年とか何十年後とかそういう遠い未来のことではない。明日明後日のことが怖くて泣いた。

ブログを始めて、私はどう転ぼうか絶対にクライアントAと手を切ることを決めた。けれど、そのことが恐ろしく恐ろしかった。

一度、プライベートが忙しくなった時期があって、クライアントAに「仕事を減らしてください」とお願いしたことがあった。

その時、クライアントAは激昂した。

「何を勝手なこと言っているんだ」「あなたの代わりなんていくらでもいるんですよ」

もし、本当に私の代わりがいるのなら、その人に私がしなくなった仕事をしてもらえばいいのではないだろうか。と、今となっては思う。

けれど、その時の私は怒鳴られたことの恐ろしさに、泣いて謝るしかできなかった。

結局、前回の記事に書いた「すばらしい人」がクライアントAを諭してくれた。「彼女の人生はあなたが決めていいものじゃないのよ」「彼女の人生を決めたいのなら、それ相応の対応をしなきゃいけませんよ」と。

すばらしい人と話した後のクライアントAはとても機嫌が良く、笑顔で私に「はい!減らしましょう」と言った。私は何が何だかわからなかった。

後に、クライアントAはこのすばらしい人に恋をしていたのだということを知る。立ち振る舞いを見て、恋愛感情を持っていることは明らかだったのだけど、まさか愛を告白してしまうなんて思わなかった。なぜなら、クライアントAは結婚しているから。

しかも理不尽解雇した後で愛の告白をするという素っ頓狂なことをかまし、私たち(私とそのすばらしい人とそのお知り合い。今ではそのすばらしい人とは、一緒に食事ができる間柄になった。このことはとてもとても嬉しくて、食事に誘われる度にベッドで転がり回っている)の間ではしばらくその話題で持ちきりだった。私にはまだ「愛の告白事件」が知られていないとクライアントAは思っている。わかりやすいピエロだ。

話は逸れたが、私はこの経験から、クライアントAに対して「仕事を減らしてください」「仕事を辞めます」というのが、とても怖い。夫と結婚してしばらくは顔を出さなかった男性に対する疑心が、また顔を出したようだった。

けれど、私はどうしてもクライアントAと手を切りたい。「ブラックな記事を書くのが辛い」から始まったこの話だけど、「ブラックなクライアントAと一緒に仕事をするのが辛い」という感情もある。増田に書いた時は一回こっきりで終わると思ったし、詳細は書かなかったけれど。

だけど、本当に怖くて、怖くて、昨日泣いた。目をぎゅっとタオルで押さえつけた。

泣いた時に目が腫れるのは、流れた涙が雑菌を含んで目の中に広がり、そのせいで腫れるらしい。なので、涙の出てくる目頭にタオルを押さえつけて泣けば、目はほとんど腫れない。私はいつも、こうして泣いてきた。友人にこの泣き方を教えた時、「もっと素直に泣きなよ」と泣かれた。だから女はすぐ泣く、と思われることが癪な私にとって、この方法は会心ライフハックだったのだけれど。あまり理解されないようだ。

そうしてぎゅっと目を押さえつけているうちに、小さい頃に好きだったノイズのようなものが見えた。私だけかもしれないけれど、目を強く押さえつけると、グレーのマーブル模様のような、万華鏡を覗き込んだ時の模様のような物が見える。小さい頃、私はそれが大好きで、暇さえあれば目を押さえつけていた。そんな模様を、昨日久々にうっかり見てしまった。

その時、私は小さい頃から私のままで、こんなに姿形や思うこと考えることありとあらゆることが変わっても私は私のままで、これから先も一生そうなんだろうと感じた。

それならば、だからこそ、クライアントAとは絶対に手を切ろうと思った。

覚悟は決まった。後は行動だけ。数日中にこのことをブログに書ければと思っている。

 

それでは、こちらの記事の続きです。 

teihen-writer.hatenablog.com

全ての真っ当な方向性を見失い、私の仕事はブラック記事書きがメインになった。

クライアントAに「他の仕事はもうしないんですか?」と聞いた。

最初は「少し会社の方向性を考えます」と言っていた。が、一か月経ったぐらいには「儲かるまでに時間がかかりすぎてやってられない。ブラックSEOでやってもあと数年は持つから、それまでに考える」と言われた。

将来を見据えて、ホワイトSEOを。新規事業をと言っていたクライアントA。彼の目にはもう未来は映っていないようだった。

そして、この発言は、私の仕事は数年の間、ブラックしかないということを思い知らせた。私の目の前もブラックになった。一寸先はブラック。

ブラック記事を量産するようになって、いろんなことを覚えた。

「住所不定でもお金を借りられる」とかね。何そそのかしてんだこいつ、みたいな記事を量産するようになった。

住所不定でお金を借りることや、それをそそのかすことはは犯罪ではない。けれど、住所不定の人に「消費者金融からお金借りなよ!」なんて、面と向かっては絶対に言えない。「一緒にハローワークいこ!」から始めると思う。それもどうかと思うけれど。

私はそんな「面と向かっては言えない記事」を量産するようになっていた。 

以前の化粧品や健康食品の記事を書いている頃であれば「そういえば私これを試したことあるんだけどね、今のあなたの肌荒れにはとてもいいと思うよ!」と、笑顔で面と向かって話すことができていた。

今の私は自分の書いている記事を「私が書きました」と言って、表に出すことなんて、到底できない。

最初の増田に書いた内容の中に「私より下の人が私より質の低い文章を納品して同じだけのお金をもらっている」と書いた。これの尻拭いも私の仕事だった。

私はクライアントAからお金をもらうまで、質の高い仕事を要求される。それは私がクライアントAの要求を聞き、素直に手直しをするからだ。

しかし、クライアントAは記事を他の人に外注する際、ほぼ内容を確認せずにOKを出す。手直しをしない、手直しをしても大した物を上げてこない人に対して、クライアントAはこうすることで「時間短縮」を図るようになった。

なので、いざファイルを開いてみたら文字数間違い、狂った文章、内容がそもそも違うなんてことはざらにあった。

私はそれの手直しをしていた。

「それなりの報酬を出してこの記事を書いてもらったんで、使えないと困るんですよ」と言われた記事は、よく文章でお金稼ごうと思ったな、というような文章だった。

「頭が頭痛で痛い」のような言葉を連発している。文章がめちゃくちゃで読んでいて意味がわからない。意味のわからない造語を入れ込んでくる。「どうやったらこんな風に間違えられるの?」と言いたくなるような誤字が一文にひとつ必ずある。そんな文章だ。

「それなりの報酬」がいくらかは知らないが、わざわざそれを言うだけのお金をこの記事を書いた人に渡したんだろう。私が真剣に書いて書いて書き直しても単価は変わらない。手直し料なんかは当然ない。自分の文章に自信があるわけではないが、頭が頭痛で痛いなんて言葉は冗談でしか言わない。そのぐらいのことはわかっている。それなりに読める文章を書いているはずだ。

なのに、よくわからない私が顔も知らないメールでもやり取りをしたことをない人が、そういう記事を納品してくる。しかもそういう記事に限って内容がブラックでも何でもなかったりする。健康に関する豆知識集のような記事だったりする。

何で私に書かせてくれなかったの?

ブラックリストでもお金が借りたい人へ!なんて記事より、そっちの方が書きたかったよ?

何でそっちはやらせてくれないの?

クライアントAはこう言う。「こういうのはネットで調べたら誰でも書ける。そうじゃない記事をお願いしているんですよ」。

それはどういう意味なんだろう。まだ私の文章を評価してくれているの?それとも、私だったら口頭でやり取りできて履歴が残らないからブラックな内容の記事が頼みやすいの?何で?何で?何で?何で?何で?何で?何で?何で?何で?何で?何で?何で?何で?何で?

と、メンヘラらしく頭の中が同一単語で埋め尽くされてパンクした。こうして考えることをやめた。

私はこうして記事を雑に仕上げるようになっていった。

雑に仕上げるようになると、ラクになった。いちゃもんのような手直しを依頼されても「そりゃそうだよね」としか思わなくなった。だって雑に書いたのだから、当然。記事にかける時間も短くなったし、とてもラクだ。

何を書いたって責任は全部クライアントAにある。私に責任はない。低賃金で使いまわされる代わりに、私は雑で自分でも理解しれきれない文章を書いてそれを誰かが鵜呑みにして人生を狂わせようともそれでもそれが私のせいではないという世界にどっぷりと浸かってしまった。嬉しいとか悲しいとかではなかった。何もなかった。

そうこうしているうちに、気付いたことがあった。

事務所を設立して以来、クライアントAのデスクに置かれていた「人の生活を向上させる」という目標が書かれていた紙が、いつの間にか消えていた。どこを探してもなかった。

どういう気持ちであの紙を捨てたのかわからない。ただ私がわかることは、私がブラックな仕事しかもらえなくなってしまったこと、彼の私に対する態度が最初と全然違うこと、「とりあえずあの人(私)に任しといたら低賃金で何とかなるっしょ」とクライアントAに思われているだろうこと、そうしたことしかわかりません。

 私は気付けばブラック記事を書くことに慣れてしまっていた。雑に作ることにも慣れてしまった。文章を作るテクニックもそうだけど、心も慣れてしまっていた。これでお金が稼げるのだから、これも仕事の形の1つ、なんて思っていました。

と書いたけど、少し違う。もちろんそれもあるけれど。それ以上に私は、私が喜んで始めて嬉しくて楽しかった仕事が真っ黒になってしまっていたことを認めたくなかった。文字で稼げていることは幸せなことなんだと思いたかった。今幸せじゃありませんだなんて言えなかった。誰にも。

ブラックブラックアンドブラックな仕事しかなくなってしばらくしてから、仕事が少なくなった。ライターの仕事以外に、アフィリエイトサイト量産用ソフトを使ってサイトを作ったり、他の外注のお世話をしたりといった仕事が増えていった。クライアントAはアフィリエイトで稼ぐ自信をなくしてしまったと人づてに聞いた。人生セミリタイアしたい、というのは本人から聞いた。何を言っているんだと思った。

そうして私は報酬を増やすべく、もっと文章を書き散らすべく、新しいクライアントとの仕事を増やしていった。やっぱり私は文章を書くことが好きだった。文章の仕事がしたかった。

新しい仕事は、ランサーズを経由して見つけていった。底辺ネットライターらしく、私はこうしたサイトを経由することでしか文章の仕事を見つけられなかった。

というより、それ以上の値段で私の文章が買い取ってもらえるなんて思いもつかなかった。売りに行こうと思わなかった。

クライアントAは、最初こそ私の文章を褒めていたものの、徐々に褒めなくなっていった。ケチばかりつけるようになっていった。

「サイトが上がっているのは、あなたの文章のおかげじゃなくて中古ドメインのパワーと私のSEOのおかげですから」とも言われた。

今だったら「じゃあ別の人に仕事頼めよ」と言えるけれど、その時の私は「そっか、私の文章ってその程度だったんだ」と思った。過去のキラキラとした褒め言葉なんて一瞬で嘘に思えた。全部お世辞で全部嘘。だって今、目の前にある現実が「お前は大したことはない」と言っているのだから。私が記憶しているキラキラはただの幻。もしくは夢で見たのを現実だと勘違いしたのかとしれない。私は頭がおかしいから、あり得る。そう思っていた。

散々色んなことを言われた。文章だけじゃない。人間性を否定する言葉まで言われた。

まぁ私は頭がおかしいから。私は普通ではないから。狂っているから。底辺だから。クライアントAが全身をどこかよくわからないブランドの服を着ているのに私はプチプラ万歳で全身を固めていた。その格差が、私は底辺なのだ、底辺だから何を言われても仕方ないのだ、金持ちは正義底辺は悪!!!と叫んでいる気がした。私は黙ってボコボコにされるしかなかった。

ブラックな記事を書いて、ブラックな言葉に殴られる。私はボコボコでボロボロだった。

ランサーズで新たに受けた案件は、単価こそ高くないものの、内容はホワイトだった。書いていて、心が解放されるようだった。昔を思い出してしまった。今と昔の私が、全く違う感情を抱いていることに、気付いてしまった。

そんな昔のことのキラキラをほんの少し思い出したボコボコでボロボロな私の目が、見た。ネットの海がドロドロに汚染されているのを見た。これまでもずっとネットの海を見ていたけど、やっとそれが「汚染された海」であることを認識した。私の中の心の中で溜まっていた物が弾けた。本当に、パンッ、と頭の中で音が鳴ったようだった。

ここで泳いでいたくない。汚染してごめんなさい。そんなつもりはなかったんです。そう叫びたくて増田で書き殴った。

これがこのような今につながるなんて思いもしなかった。今、恐怖を抱きながらも、未来を見ることができているのが、本当に嬉しい。

コメントの中で「誹謗中傷が出てきたから、あなたの心が心配」というような、私を心配してくれているものがあった。

本当にありがとう。顔も名前も知らない私の心を心配してくれるなんて、本当に嬉しい。

でも、私にとって、これらのコメントは大して痛くない。最初読んだ時、ヒリッとする言葉もあるけれど、何回も何回も読み返すことで、「私の文章への感想だ」と飲み込んで消化することができる。

本当に怖いのは、現実の人間の悪意のない誹謗中傷だ。次に怖いのが悪意のある誹謗中傷だ。悪意があれば「悪意を押し付けるのはやめてください」と言える。けれど、悪意がなければ、それを非難することもできない。愛想笑いのような濁し言葉でその場を繕うしかない。本当に怖いのは、こういう言葉だ。クライアントAのように、悪意なく、ただ自分のために、自分を尊大に見せるがために人を貶めるような言葉には、太刀打ちができない。

ネットのコメントなんて、幽霊のような物でしかない。私の心を傷つけるまではいかない。現実にブラックな言葉でボコボコに殴られた私にとって、突き刺さる物ではない。

セクハラやパワハラを受けた時も、たくさん誹謗中傷を受けた。あの時の心苦しさを思えば、参考意見程度だ。むしろ、私の文章をちゃんと最後まで読んでコメントしてくれていることに喜びすら感じる。

だけど、私のことを応援してくれる言葉を投げてくれる人に、毎日感謝している。誹謗中傷は幽霊のようなものだと言いつつ、そんなこと言うのはかなりご都合主義だと自覚している。でも、本当にありがとう。

私がこの一時で消えてなくなってみんなが私のことを忘れたとしても、私は暖かい言葉を一生忘れないと思う。例え過去の栄光と呼ばれるほど過去になったとしても、たくさんの人が暖かいのは今確かなことだ。