底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

私は全てのアフィリエイターを敵視している人ではありません

心と心を触れ合わせるには言葉だけに頼ることはできぬ。言葉は不完全なものである。

ー『心と言葉』和辻哲郎 『教科書でおぼえた名文』より

こうしてブログを始めてみて、この言葉の重みを感じている。

言葉が不完全である上に、表現はその人の知識の中にあるものから生み出される不完全であり、それでも懸命に書き綴った言葉も、読み手によってはうっかり読み飛ばしてしまって、不完全な状態で全てを把握したつもりになってしまうこともある。どれだけ伝えよう伝えようとして綴っても、いつも言葉は不完全だ。

ツイッターを始めて知ったのだけれど、どうも私は「アフィリエイター全員を目の敵にしている人」と思われているらしい。お二人の方にそのようなことを言われた。お二人とも私に敵意を向けられていたわけではないのだけれど、これがとても気になった。

ここで断言しておきたいが、決してそんなことはない。

私がアフィリエイターに関することを語る際、「その肩書を持つ者すべてにおいて」という意味では書いていない。あんなに感情的に書き殴った増田ですら「全員が全員とは言わない」と書き添えてある。ここに関しては、これまで一貫してきたつもりだ。

ただ、『スパム互助会』の記事のインパクトが強すぎたのだろう。スパム互助会記事は、アフィリエイターを叩くという趣旨ではなく、私の知っている互助会についてを書いただけのつもりだった。あと、少しの懺悔も込めて吐露したかった。

実際にこうしたスパム互助会に参加されているアフィリエイターなんてごく一部の人だけだろう。全てのアフィリエイターには当てはまらない。

後日の記事にも「なぜスパム互助会の記事を書いたのか」ということを書いたのだけれど、スパム互助会の記事しか読まれていない方も多いようだ。当然かもしれないが。

私がクライアントAを糾弾しつつもその企業名を明かさないことで、「アフィリエイター全員」と取られたのかもしれない。私がそう思われる一文をどこかに書いてしまったのかもしれない。

どうあれ、私は「アフィリエイター全員を叩く人」と思われているらしい。

もしそう思われている方がいらっしゃったら、申し訳ない。

私はアフィリエイター全員を叩くことはしない。真っ当なやり方でアフィリエイトをしている人がいることも知っているからだ。

今後、私の記事にそうした内容を期待されても、意に沿えないと思う。

私は元々こういうスタンスでやってきたので、スタンスを崩すわけではないのだけれど、もしそういう内容の記事を期待されて読者になっていただいた方がいらっしゃるのであれば、大変申し訳ない。

それに、真っ当にアフィリエイトをされている方の心を乱してしまったのであれば、こちらについても申し訳ないと思う。

ブログを始めた時点で私自身が嫌われる覚悟はそれなりにしていたけれど、人を傷付ける覚悟はしていなかった。不正をしている人に関しては別だけれど。真っ当に生きている人を傷付ける覚悟は私にはない。所詮、小心者だ。ブログのバブルが弾けてからしか行動できない小心者だ。

アフィリエイトに助けられている人は、稼いでいる側にも買っている側にもいる。病気の家族を看病しながらアフィリエイトで家計を稼ぐことができたと喜んでいる人もいる。実際に自分が救われた商品をアフィリエイトしている人もいる。そこまで大袈裟じゃなくても、ちゃんと商品のことを知って商品を売っている人もたくさんいる。

だけど、「どうせこんなの効果ありませんけど、単価良いんで嘘ついて売ります」というような売り方をしているアフィリエイターもいる。そういうのは嫌いだ。アフィリエイトに関わらず、そんな風に物を売るのは嫌いだ。「そんなのどの業界でも当たり前のことじゃん」と言われたって、嫌な物は嫌だ。こんなことが当たり前なのが嫌だ。

こうした考えの元でアフィリエイトされると、アフィリエイトできる商品だけ持ち上げられて、アフィリエイトができない商品は徹底的に叩かれている状態になる。ネットの海の汚染だ。

情報源がネットしかないという人多いだろう。だからネットで商品名で検索する。そしてサイトで紹介されていた商品を「これいいんだ!」と、買ってしまう。出会った記事が良質な記事であればそれは幸せなことだろうけれど、嘘まみれの記事に当たってしまった場合、不幸だ。

そういうのを書いていたくせに、と言われるだろうけど、書いていたからこそ、そういう記事の存在を知っているからこそ言いたい。そういうのは良くない。

愚者の後知恵だ。私は愚者だ。最初の増田にも書いたが、一番のバカでクズで底辺は私だ。自らを底辺と名乗るほどの底辺だ。

アフィリエイターが嫌いなんじゃない。嫌いなアフィリエイターがいるんだ。売れれば嘘をついてもスパム行為をしても何でもOKで、低賃金で労働させることが当然で、悪事を悪事だと明示せずに労働の指示を出し、人によってはそれを強要してくる。拒めば怒る。そんな人だ。こんな人は何の仕事をしていても嫌われると思う。

「お金をくれていた人のことを糾弾するなんて」と思われている方もいるかもしれないが、これに関しては私は問題だと思っていない。何を恵んでくれた相手であろうが、それだけで全てを肯定してはいけないと私は思う。そんなことを言っていたら、お金持ちは全員良い人だし、労働者はいくばくかのお金さえいただければ苦しめられて然るべきだとなってしまう。そうしてブラック企業が生まれるのではないだろうか。

私は手斧を投げられて然るべき人間だと思うが、それは私が悪事に加担してきたことにおいてだ。糾弾したことに関して手斧を投げられて然るべきとは思わないし、投げ返すかもしれない。

この考えのせいで私に一切の仕事が来なくなったとしても、私はそう思い続ける。私はもうどのような形であってもブラックに巻き込まれたくない。そうして心を費やすことでしかお金を稼ぐことができないなら、私は夫に養われるだけの専業主婦になろう。女として生きてきてありとあらゆる酷い苦労をしてきたが、こういう選択をしても世間的には咎められることがないということだけ、私は女で良かったと思う。

アフィリエイトをしている人が悪いんじゃない。不正をする人が悪いんだ。

そのくせ、私は小心者で、「それは不正です」と断り切れずしてここまで来てしまった。だから私が今苦しいと思うこの気持ちは、全て私のせいだ。

いつも、そうだ。私は輪を重んじすぎて、不正を指摘することができない。以前、会社員として働いていた時も、盗作された経験がある。私の作った物が別の人の名前で表に出たこともあった。いつも泣き寝入りだった。小心者で、輪を壊すのが怖かった。だからいつも追従笑いでごまかしてきた。

だけど、そういうのはもう終わりにしたい。嫌な物は嫌だと、不正は不正だと言いたい。そしてそうした仕事や物事に関わりたくない。これから私がどんな人生を送ろうとも。死ぬ時は、夫に「やっぱりあなたは嘘をつかない人だったね」と言われたい。私はそのために二十代という貴重な時間を費やして裁判に挑んだのではなかったのかと、思い出した。不正が蔓延るあの世界で、私だけでも声を上げてやると叫んだあの時の気持ちを、思い出した。

私の増田へのブコメの中に「こうしたブラック記事やブラックSEOが駆逐される日は必ず来る」というような内容のコメントはとても多かった。

これはアフィリエイト関係なしに聞いた噂話だが、グーグルはすでに検索エンジン人工知能を搭載しているらしい。現時点では搭載したてで、大したことはできないが、日々成長しているのだという。

このまま成長を続ければ、ブコメで書かれていた通りの結果になるのではないだろうか。

そう思うし、そう願う。

早くあの、人の視界を奪う真っ黒な椅子取りゲームが終わればいいと思う。