底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

変わる社会と変わらない社会と変えていきたい未来と

writer.hateblo.jp

こういう仕事はまだまだあるのだな、とこちらの記事で知った。

SEO用のブログに流し込むためだけの記事。オリジナルテキストで文字数が稼げればそれでいい。普段からパソコンを使っている人であれば、新しく内職の仕事を覚えるよりも手軽にできる仕事。

需要があり、供給があり、成り立ってしまっている。お互いが納得しているからいいのではと思ってしまうかもしれないけれど、そんな方法で検索上位に価値のない記事が出て来て、読者が騙されてしまう可能性を考えると、良しとは、私は思えない。

 

私は今、ライターとしてだけではなく、ライティングディレクターとしても活動している。契約ライターに記事案件を依頼し、記事の品質や納期などを管理する業務。

こうした活動を始めたのは、私から「やります!」と進言した訳ではなかった。ライターとして契約している、とあるメディアの編集部より持ち掛けられた話だった。

私があまりにも猛スピードで記事制作を進め、コミュニケーションも円滑にこなすため、「できると思うのですが、やってみませんか」と打診された。

「できると思われたんだったら、やってみるか」と、割と気軽に引き受けて、求人広告を出した。

人に指示を出すリーダー的な立ち位置で仕事をこなした経験もあり、ディレクションをすることは難しくなく、自分でも思った以上にスムーズにいちビジネスとして「ディレクター業」は確立していった。

今となっては、「安心して仕事を任せられる」と、私たち“チーム”に対しての定期的な依頼もいくつかある。

が、私がライターとして仕事を依頼しているライターたちの中に、もともとプロのライターとして働いていた人はひとりもいない。

在宅業務の求人をかけたところ、シングルマザーや介護中の方、妊娠中の方といった「外に出られないけれどお金を少しでも稼ぎたい」という人が多く集まってくれた。

これは予想していたことで、むしろ、こうした方々が応募してくるだろうと見越していた。私はライティングを教えることができるので、教えれば大丈夫と思っていた。

「根気」と「パソコン」と「ネット環境」を条件として絞り込んで、適合した人は未経験者でもひとまず契約した。

文章だったら誰でも書ける。それを「記事」として当てはめられるかどうか。それは根気だけの問題、と、自分なりに判断した結果だった。

「WEBの記事とは」という考え方を頭に叩き込むところから始め、最初のうちは徹底的に記事をチェックして細かく細かく指導する。

「ブラウザって何ですか?」という人には「これがブラウザです」というところから教える。

「在宅で稼ぐ目的」がある人たちなので、ライティングを教えるとしっかりと勉強をして真面目に取り組んでくれる。向き不向きがある仕事なので、挫折してしまう人もいる。けれど、半年続けられた人は「WEBライター」と名乗れるほどに成長してくれる。

チームとして引き受ける案件は、書くことがすべて見出し単位で決まっている案件でも、私のディレクション費用を差し引いても1文字1円は絶対に切らない報酬設定でしか引き受けない。

それでも、私たちチームは成り立っている。真摯にメディアを作ろうとしているクライアントが増えてきている。

変わらない一面がある一方で、私は、確かにWEBメディア界隈が変化し始めているのを目の当たりにしている。全く変わっていない訳じゃない。少しずつ、変われる人から変わり始めている。

 

私がブラックアフィリエイトで溺れ死にそうになった人間だからわかるけれど、0.1円仕事は、どこか、自らの尊厳のようなものを削り落としていっているような気になる。もちろん、ならない人もいると思うけれど、その仕事をこなして「何かを積み上げている」という気持ちにはならないと思う。

私のもとで働いてくれているライターたちは、仕事を任せれば任せるほどキラキラと輝いてくる。ほとんどチャットでしか話さないけれど、使う言葉が明るくなって、仕事に対してどんどん前向きになって、自分の記事がメディアに掲載されてとても喜んでくれて。

あるひとりの人なんて、前向きになりすぎて、自立して社会に戻っていってしまった。成長が目覚ましい人だったのでとっても惜しい思いだったけれど、「あなたのおかげで、前向きに考えられました」だなんて言われたら、もうお祝いの言葉を贈るしかない。

仕事って、こういうものであってほしい。

「お金をいただいている」というこちらの思いと、「仕事をしてもらっている」というあちらの思いとがあって、どちらもが「良い物を創ろう」と思って前を向けるような。

 

これは考えてもみなかったことだけれど、シングルマザーや介護中といった「家を離れられないけど働きたい」という人に仕事を教えてお願いするということが、社会貢献になっていたらしい。

そちらに関して最近になって評価されるようになり、少々どころではなく驚いている。

けれど、確かにそうだ。0.1円案件だって、恐らくはそうした事情を持っている人たちが仕事が欲しくてやっていることだろう。需要は大きくある。

そして、「きちんと書いてくれるライター」を求めているメディアも増えてきている。供給も少しずつ増えてきている。

このまま、「ライティングディレクター」というビジネスをもっともっと確立して、大きくしていけば、0.1円案件のような案件も少しずつ減らせるんじゃないだろうか、と、夢を持って働いている。

夢を持って働くのは、いい。体中にエネルギーが満ちて、しびれて、「生きていてよかった!」と思える。やればやるほどエネルギーが溢れてくるので、「じゃあ次!」「もっとやるぞ!」となる。12月前半は少し頑張りすぎて、ここ数日間は風邪で寝込んでいた。肉体が精神についてこれないということは、もう少し筋肉に磨きを掛けなければならないなと思うところ。完治したら筋トレを再開しようと思う。

以前の私は、筋トレをしようだなんて思わなかった。仕事をするのも、食べるのも、生きるのも、何をするのも億劫だった。

夢を持って働くのは、いい。

小さな夢でいい。やりたいことなんてなくていい。

「少しでも副業で稼いで、子どもに何か買ってあげたい」

「介護中だけど、お小遣いを稼いでほんの少しだけ自由がほしい」

そういう夢があればいい。そういう夢を叶えられる社会がいい。

来年はもっと、そうした社会を広げていけるように。もっともっと、頑張りたい。

 

 

 

悪化の迷路とひどくなる発作

一昨日の昼前、11時過ぎぐらいだろうか。それぐらいからPTSDの発作が始まって、12時半頃、ようやっと治まった。

文章を書く仕事をする、ということは、私がやりたいことなのだけれど、自営業である、ということは、私が生きていくうえで貫かなければならないことなのだろうと思う。だって、発作が起こる度に休んでいたり遅刻したりしたら、組織にはいられないでしょう。私はずっと、いつでも独りになれる状況にいないと、生きていけないのだと思う。なんて恐ろしいステータス異常だろう。

いくつになっても、辛い痛い酷いことは、起こる。恐ろしいことに、複雑性PTSDを患っていると被害に遭いやすい人格形成が行われるらしい。だからだろうか。そういう目に、よく遭う。

今年に入って少しした頃から、じわじわとPTSDが悪化した。

今、ようやくこれ以上の悪化を食い止めて、回復に向けて尽力できる場所にいる。

悪化の一途を辿っている最中よりも、悪化したということを自覚して、発作に耐えなければならない状況の方が、辛い。

おかしなことに、悪化の一途を辿っている時はいっそ「ラク」だ。思考に異常なバイアスがかかって物事の判断基準が狂う。自らを痛めつけるような間違った選択でも、何かしら理由を付けて正しいと思い込むことができる。

そしていよいよぶっ壊れる。

ぶっ壊れると、体が思い通りに動かなくなる。頭も思うように働かなくなる。

間違った選択で迷い込んでしまった迷路から逃げたくなって、走り出す。この時、誰かしらが「こっちだよ」と出口に導いてくれて、事なきを得ることもある。けれど、「お前が自ら迷い込んだのだから、一生そこで迷い続けていろ」と言われて、その場に座り込んでしまうこともある。そうして歩く気力をなくしてそこで死んでしまう人がいる。

私がこれまで死ななかったのは、なんとなく横にある壁がよじ登れそうな気がして、よじ登って、迷路から脱出できていたから。

その壁はざらざらと、とげとげとしていて、体が傷だらけになる。「迷路なのにそんな方法で出ていくなんてルール違反だ」と怒る人たちに罵倒される。それでも生きるために、壁をよじ登る。

迷路から出ると、世界は広く広がっていて、ああ迷路ってこんな小さな箱だったんだと思う。

これまで大事に背負ってきた荷物や、あらゆるものをその迷路に置き去りにしなければならない。二度と取りに戻ることは叶わない。迷路まで辿り着くまでの道にも戻れない。どれだけそこに大切なものがあったとしても。

それでも、死ぬよりはましだと割り切ってそこを後にするしかない。そうして私は今、傷だらけで今ここで生きている。

 

発作は、苦しい。

不思議なことに、何もされていないのに、体が震えて、肌がぎりぎりと痛み始めたり、誰もいないのに、何も聞こえていないのに、頭の中が他人からの罵倒でいっぱいになったりする。

蹲り、じっとそれらが過ぎ去るのを待つのが、最も早く発作が過ぎ去る方法。過ぎ去らなければ、頓服薬を飲む。そうして少し眠れば、頭の中が空っぽになった状態で起きることができる。それは決して気分が良い訳ではなく、喜怒哀楽の一切を失って、辛いことすら辛いと思わなくなって、それが正しいのかどうかはわからない。ただ、今「辛い」から逃げられるだけ。

私はもう慣れてしまっているからか、これがこの病気の人の普通なのか知らないけれど、「ああ、やばいな」と思い始めてからでも、普通を装って行動することができる。

買い物中にこうなることも割とよくあって、そうすると、自分が何を買いたいのか、何を買っているのかということがわからなくなるも、傍から見れば普通に買い物をしているようにしか見えないだろうという風に装うことができる。

けれど、頭の中はパニックだから、帰宅するという判断も冷静にできない。あそこに行かなくちゃ、あれも買わなくちゃ、と、余計にあちこちに足を向け始め、体は疲弊しきってしまう。下手すれば知らないところに行ってしまって帰れなくなることもある。

一昨日は、偽物の痛みと声に震えながら、普通に仕事のやり取りをしていた。電話もたくさんしたけれど、多分、誰も気付いていないだろう。そうしている間に、止めどなく膨らんだ偽物が、爆発して、私は動けなくなる。時に、何かがその火の点いた導火線を切り落としてくれることもある。一昨日は、誰も何も切り落としてはくれなかった。

爆発して、「痛い」とか「やめて」とかを繰り返しながら蹲っていた。

けれど、薬を飲むところまではいかなかった。私を助けたのは、独り暮らしを始めて書くようになった日記だった。

日常の出来事を書き留めるのはもちろんのこと、発作が起こった時に、その時の感情を書き留めるようにしていた。一昨日も、書いた。「どうして殺してはくれなかったのだろうか」で、終わっている。

いつも酷い目に遭う度に思う。そうして蹂躙するのなら、いっそ殺してくれたら良かったのにと。けれど、殺されたら殺されたで絶対に化けて出てやるから、絶対に誰も私を殺してくれるな。私は死ぬまで生きてやると心に決めているから。その権利まで奪われてなるものか、と、発作の治まった今は思う。

悪化の一途を辿っている時と同じ異常なバイアスが、発作中の私を支配しているのだろう。幸い、他傷ではなく自傷方面にバイアスがかかっているから、良かったと思う。もし万が一自分を傷付けてしまったとて、罪に問われることがない。例えそれがこの世の最も重い罪で死後の世界で地獄の責め苦を受ける羽目になろうとも、人の生きる世界で、責められることはない。

日記を書いていると、息が荒くなって、涙がぼたぼたとこぼれてくる。けれど、ペンを進めているうちに、どこかのタイミングでぴたりと書くことがなくなる。そうしてしばらくじっとしていると、呼吸ができるようになって、飲み食いできるようになる。飲み食いで気を紛らわせながら、さぁ薬を飲もうかどうしようかと悩む。飲んでラクになる時もあれば、飲んでしんどくなる時もあるから。

日記は、良い。

今まで気付かなかったことに、不思議と気付き始める。冷静に客観的に自らを振り返って、「異常な思考バイアス」にも気付けた。

ずっと、ずっとずっと、生きてきてこれまで、過去や未来を思考から切り離せたことがなかった。ずっとそれらがまとわりついて、現在を見ることができなかった。

最近、時々だけど、「現在」に立ち止まっていられる瞬間がある。

すべての物と人の輪郭がはっきりとして、澄んだようにすら思えて。何も考えず「今現在」のことだけしか見えず聞こえず考えられず。

これがきっと一般的な感覚なのだろうと、泣きそうになった。ずっとそのままでいたいと思ったけど、すぐに感覚はぼやけて思考に囚われていった。

辛い痛い酷いことはたくさんある。けれど、生きていれば楽しい嬉しいことだってある。「殺してくれ」と呟いた後で「死んでたまるか」と唸る。そんなことをずっとずっと繰り返している。

早くこんな独り言、やめたい。もっとのんきに「鶏皮おいしい」とかだけ言っていたい。最近は水切りヨーグルトにもはまっているけれど。

もうそろそろやめられるかと思えば、辛い痛い酷いことが起こる。悪化する。そういうのを繰り返して、私はどこまで生きていられるのだろうか。

できれば、死ぬまで生きたい。誰にも殺されずに。

叶うなら、もう少し心健やかに穏やかに。

けれど、何がどうあったとしても、私がどう動いたとしても、「辛い痛い酷いことをする人」とは同じにならない。なれない。一緒にしないで欲しい。例えば私が何か報復をしたとしても、絶対に私たちの魂が同じ場所に眠ることはない。しないけど。

それが、そういう人たちに伝わったら少しは心がラクになるのになと思う。

あと、こういう心の動きは「ひとつのパターン」だとみなされて、普通の人だとして扱ってもらえたら随分ラクになるのになぁと思う。常識ってなんだろう。普通ってなんだろう。辛い痛い酷いことをされたら普通じゃなくなるって、本当に酷い話だ。

悪化の迷路とひどくなる発作

一昨日の昼前、11時過ぎぐらいだろうか。それぐらいからPTSDの発作が始まって、12時半頃、ようやっと治まった。

文章を書く仕事をする、ということは、私がやりたいことなのだけれど、自営業である、ということは、私が生きていくうえで貫かなければならないことなのだろうと思う。だって、発作が起こる度に休んでいたり遅刻したりしたら、組織にはいられないでしょう。私はずっと、いつでも独りになれる状況にいないと、生きていけないのだと思う。なんて恐ろしいステータス異常だろう。

いくつになっても、辛い痛い酷いことは、起こる。恐ろしいことに、複雑性PTSDを患っていると被害に遭いやすい人格形成が行われるらしい。だからだろうか。そういう目に、よく遭う。

今年に入って少しした頃から、じわじわとPTSDが悪化した。

今、ようやくこれ以上の悪化を食い止めて、回復に向けて尽力できる場所にいる。

悪化の一途を辿っている最中よりも、悪化したということを自覚して、発作に耐えなければならない状況の方が、辛い。

おかしなことに、悪化の一途を辿っている時はいっそ「ラク」だ。思考に異常なバイアスがかかって物事の判断基準が狂う。自らを痛めつけるような間違った選択でも、何かしら理由を付けて正しいと思い込むことができる。

そしていよいよぶっ壊れる。

ぶっ壊れると、体が思い通りに動かなくなる。頭も思うように働かなくなる。

間違った選択で迷い込んでしまった迷路から逃げたくなって、走り出す。この時、誰かしらが「こっちだよ」と出口に導いてくれて、事なきを得ることもある。けれど、「お前が自ら迷い込んだのだから、一生そこで迷い続けていろ」と言われて、その場に座り込んでしまうこともある。そうして歩く気力をなくしてそこで死んでしまう人がいる。

私がこれまで死ななかったのは、なんとなく横にある壁がよじ登れそうな気がして、よじ登って、迷路から脱出できていたから。

その壁はざらざらと、とげとげとしていて、体が傷だらけになる。「迷路なのにそんな方法で出ていくなんてルール違反だ」と怒る人たちに罵倒される。それでも生きるために、壁をよじ登る。

迷路から出ると、世界は広く広がっていて、ああ迷路ってこんな小さな箱だったんだと思う。

これまで大事に背負ってきた荷物や、あらゆるものをその迷路に置き去りにしなければならない。二度と取りに戻ることは叶わない。迷路まで辿り着くまでの道にも戻れない。どれだけそこに大切なものがあったとしても。

それでも、死ぬよりはましだと割り切ってそこを後にするしかない。そうして私は今、傷だらけで今ここで生きている。

 

発作は、苦しい。

不思議なことに、何もされていないのに、体が震えて、肌がぎりぎりと痛み始めたり、誰もいないのに、何も聞こえていないのに、頭の中が他人からの罵倒でいっぱいになったりする。

蹲り、じっとそれらが過ぎ去るのを待つのが、最も早く発作が過ぎ去る方法。過ぎ去らなければ、頓服薬を飲む。そうして少し眠れば、頭の中が空っぽになった状態で起きることができる。それは決して気分が良い訳ではなく、喜怒哀楽の一切を失って、辛いことすら辛いと思わなくなって、それが正しいのかどうかはわからない。ただ、今「辛い」から逃げられるだけ。

私はもう慣れてしまっているからか、これがこの病気の人の普通なのか知らないけれど、「ああ、やばいな」と思い始めてからでも、普通を装って行動することができる。

買い物中にこうなることも割とよくあって、そうすると、自分が何を買いたいのか、何を買っているのかということがわからなくなるも、傍から見れば普通に買い物をしているようにしか見えないだろうという風に装うことができる。

けれど、頭の中はパニックだから、帰宅するという判断も冷静にできない。あそこに行かなくちゃ、あれも買わなくちゃ、と、余計にあちこちに足を向け始め、体は疲弊しきってしまう。下手すれば知らないところに行ってしまって帰れなくなることもある。

一昨日は、偽物の痛みと声に震えながら、普通に仕事のやり取りをしていた。電話もたくさんしたけれど、多分、誰も気付いていないだろう。そうしている間に、止めどなく膨らんだ偽物が、爆発して、私は動けなくなる。時に、何かがその火の点いた導火線を切り落としてくれることもある。一昨日は、誰も何も切り落としてはくれなかった。

爆発して、「痛い」とか「やめて」とかを繰り返しながら蹲っていた。

けれど、薬を飲むところまではいかなかった。私を助けたのは、独り暮らしを始めて書くようになった日記だった。

日常の出来事を書き留めるのはもちろんのこと、発作が起こった時に、その時の感情を書き留めるようにしていた。一昨日も、書いた。「どうして殺してはくれなかったのだろうか」で、終わっている。

いつも酷い目に遭う度に思う。そうして蹂躙するのなら、いっそ殺してくれたら良かったのにと。けれど、殺されたら殺されたで絶対に化けて出てやるから、絶対に誰も私を殺してくれるな。私は死ぬまで生きてやると心に決めているから。その権利まで奪われてなるものか、と、発作の治まった今は思う。

悪化の一途を辿っている時と同じ異常なバイアスが、発作中の私を支配しているのだろう。幸い、他傷ではなく自傷方面にバイアスがかかっているから、良かったと思う。もし万が一自分を傷付けてしまったとて、罪に問われることがない。例えそれがこの世の最も重い罪で死後の世界で地獄の責め苦を受ける羽目になろうとも、人の生きる世界で、責められることはない。

日記を書いていると、息が荒くなって、涙がぼたぼたとこぼれてくる。けれど、ペンを進めているうちに、どこかのタイミングでぴたりと書くことがなくなる。そうしてしばらくじっとしていると、呼吸ができるようになって、飲み食いできるようになる。飲み食いで気を紛らわせながら、さぁ薬を飲もうかどうしようかと悩む。飲んでラクになる時もあれば、飲んでしんどくなる時もあるから。

日記は、良い。

今まで気付かなかったことに、不思議と気付き始める。冷静に客観的に自らを振り返って、「異常な思考バイアス」にも気付けた。

ずっと、ずっとずっと、生きてきてこれまで、過去や未来を思考から切り離せたことがなかった。ずっとそれらがまとわりついて、現在を見ることができなかった。

最近、時々だけど、「現在」に立ち止まっていられる瞬間がある。

すべての物と人の輪郭がはっきりとして、澄んだようにすら思えて。何も考えず「今現在」のことだけしか見えず聞こえず考えられず。

これがきっと一般的な感覚なのだろうと、泣きそうになった。ずっとそのままでいたいと思ったけど、すぐに感覚はぼやけて思考に囚われていった。

辛い痛い酷いことはたくさんある。けれど、生きていれば楽しい嬉しいことだってある。「殺してくれ」と呟いた後で「死んでたまるか」と唸る。そんなことをずっとずっと繰り返している。

早くこんな独り言、やめたい。もっとのんきに「鶏皮おいしい」とかだけ言っていたい。最近は水切りヨーグルトにもはまっているけれど。

もうそろそろやめられるかと思えば、辛い痛い酷いことが起こる。悪化する。そういうのを繰り返して、私はどこまで生きていられるのだろうか。

できれば、死ぬまで生きたい。誰にも殺されずに。

叶うなら、もう少し心健やかに穏やかに。

けれど、何がどうあったとしても、私がどう動いたとしても、「辛い痛い酷いことをする人」とは同じにならない。なれない。一緒にしないで欲しい。例えば私が何か報復をしたとしても、絶対に私たちの魂が同じ場所に眠ることはない。しないけど。

それが、そういう人たちに伝わったら少しは心がラクになるのになと思う。

あと、こういう心の動きは「ひとつのパターン」だとみなされて、普通の人だとして扱ってもらえたら随分ラクになるのになぁと思う。常識ってなんだろう。普通ってなんだろう。辛い痛い酷いことをされたら普通じゃなくなるって、本当に酷い話だ。

アロマティカスとカランコエと美味しいと思える食事と

アロマティカスと、カランコエの株を買った。

昔は、土いじりなんて嫌いだった。家に花を飾ったり、草を育てたりする人の気が知れなかった。喋りもしなければ寄り添ってくれもしないし食えもしない、そんな植物に愛を注いで何になるのだと思っていた。花は造花が好きだった。鉢植えよりも切り花が好きだった。もし枯れたとしても、切り花だったら、枯れて当然で私に何の責任もないから。

今は、造花よりも切り花が、切り花よりも鉢植えの花が好きだ。鉢植えに咲いた花を切り花にして、飾るのが好きだ。植物の力を借りて、何かを成し遂げたような思いを味わえるから。何も成し遂げていなくても。

カランコエは、以前の家で、投げ売りになっていた赤い花を咲かせる株を買って育てたことがあった。

好きな花びらの形ではなかった。好きな色でもなかった。ただ、何か花を育ててみたいと思っている時に投げ売られていた。一年草は何だか寂しいので、多年草か宿根草が良かった。それだけの理由で、カランコエを育てた。

ベランダで、横長のプランターに適当に植えたカランコエは、毎年もの間、赤い花を咲かせた。渋みの全くない鮮やかな赤色。赤い花、というと、どことなくおどろおどろしいイメージがついて回るけれど、その花の色はそうした様相を一切持っておらず、「太陽の下で育ったのよ」と語るような素直な赤色だった。

冬になるとベランダに出て水を撒くのが辛くなって放っておいたことがあって、その時、カランコエは丸裸の低木になった。温かくなったら処分しなければならないなと思って見ていたのに、温かくなると、私が水を撒くよりも早く緑色の茎が生えて、たくさんのつぼみを付けた。

株が大きくなればなるほど花の数も増えて、花が咲くと、風に飛ばされて赤い花びらが辺りを舞った。それがとてもきれいで、カランコエが好きになった。花が開き切った頃に切り花にして、食卓に飾った。洒落た料理なんて出ない食卓だったけれど、とても豊かに感じられた。

アロマティカスも、以前の家で育てていた。「シソ科」のはずなのに、全くシソらしさのない、肉厚な小さな葉。茎もしっかりと肉が付いていて、それ故に押せば簡単に折れてしまう。柔軟性のない柔らかい茎と葉が、どっしりとした外見に反して繊細さを思わせた。

しかしながら、アロマティカスは他のシソ科植物と同様に、とにもかくにもしぶとく丈夫だった。うっかり折れてしまった茎や、不格好だからと切り取った茎を水に差しておいたら根が生えるし、大きくなったら株を根っこを適当に引き裂いて分けて植えると、1株が2株に増える。最初は、茎を折るなんて酷いこと、と思っていた。けれど、こうした生命力の強い草木にとって、折られて水に差されることの方が幸福であることもあるのだと知った。

ミントよりも甘く、甘い花よりも爽やかな香りで、私はその見た目よりもその香りの虜になった。今も、気が向いた時に鉢を手に取って鼻に当てて、それを楽しんでいる。

 今、アロマティカスとカランコエを買ったのは、育て方を知っているから、だった。植物はそれぞれ育て方があって、それを知らずに繊細な植物を買ってしまうと、みるみるうちに枯れてしまう。それが嫌で、私は生命力強く育て方を知っているこの2つを選んだ。

ふと、初めてこれらを手に取って、家に根付いた株を楽しんだ時期を思い出すと、ああ、と思ってしまう。

後悔はしていない。あの家に根付いた株を手放さなければ手に入らなかったものがたくさんあるから。

けれど、もしあの家に根付いた株を手放さなければ手に入っていたものがあるのだろうか、と、少しだけ思ってしまった。

こういうことを考える時は、大体お腹が空いている時か体が冷えている時で、温かいお味噌汁を飲んでいるうちに、何を考えていたか忘れてしまう。

今日は先日丸ごと買った白菜の固い部分ばかりを具にした。葉は、別の日に蕎麦に入れた。鶏皮を煮た汁をつゆに仕立てて葉野菜を入れて蕎麦にすると、とても美味しい。鶏皮には無限の可能性を感じる。そろそろ夜が冷えるようになってきたので、焼いたり揚げたりするよりも煮込む方が美味しいように思う。焦がしてしまう心配もないので、私には煮込み料理の方が合っているのかもしれない。

こうして独りで食を楽しむことなんて、随分と長い間、忘れていたなぁと思う。ここ半年程、ストレスで胃を潰して、とんと食べられていなかった。気の知れた人と一緒であれば何とか食べられたけれど、それ以外の独りの時、食事が喉を通らなかった。心底嫌な人との食事は、味を一切覚えていない。「美味しいですね」と嘘を吐いて、酒で流し込んでいた。

最近になってようやく、その人と食事をしなくていいどころか顔を合わせなくても良い環境になった。そのおかげで、少しずつ、まともに食事ができるようになってきた。顔色が良くなってきたと友人が喜んでくれた。色々あったけれど、これで良かったんだなぁと思った。

食事は、とても大事。何があっても、とりあえず食べることができて、美味しいと思えれば生きていける。

何を食べても美味しいと思えない時はすべてうまくやっていると思っていても何かを間違えている時だし、ただの米が泣くほど美味しく感じられる時は何もかもがうまくいっていないように見えても正解を選べている時だと思う。

今大事だと思っているものを守ることが正解ではない時もあって、生きていくのは、本当に難しいなぁと思う。それでも食べていれば生きていけるのだから、生きていくのなんて簡単なもんだなぁとも思う。正解なんてわからない、以前にもどこかに書いたけど、所詮私は私が幸せに生きるためのモルモットでしかない。

値段や他者評価ではなく、自分の舌で味わって美味しいと感じられる瞬間。その瞬間は、食事の質だけではなくて、その時の心とか、立場とか、色々なことが絡んできて。そういうのを全部ひっくるめて「美味しい」のだと思う。

私は最近、食事が美味しいと思う。心から。私ってこんなに料理上手だったっけ、と本気で思った。

私なんて、そういうしょうもないことが幸せで仕方ないしょうもない人間だ。けれど、そんなしょうもないことを一緒に楽しめる友人や仲間がいてくれて、私は本当に今幸せに過ごせている。

 

今日の仕事を終えて、特に何も考えずに日記をブログにしてみようと思ったら、気付いたらこんな時間になっていた。いつもはこういう日記を、もっと具体的な感じでノートにしたためている。ノートに書くと右手ばかりを酷使することになり、毎日やっているとまた右手が麻痺しそうになってきたので、たまにはパソコンでと思ってやってみたのだけれど、疲れが分散されていくらでも書いてしまうから困った。

明日はとても早起き。そろそろ寝ようと思います。おやすみなさい。

id:c_shiika 折れた茎を水に挿すと多分根っこが生えてくるし、土に根付いた根っこに水をあげ続けると多分なにかが生えてきます。 植物は、人間の「とりあえず食べていたら生きていける」を凌駕する、美しさをも感じる生命力を持っています。ぜひ試してみてください。

独りの夜、輝く夜

独り暮らしを始めてからというもの、以前にも増して気が狂ったように文章を書いている。

狂ったように、ではなくて、狂っているのか。ははは。

ずっと前から知ってはいたけれど、文章を書けば書くほど自らと世間の「ずれ」に気付くもので、私はよっぽど普通とされる人とは違う生き物らしい……と、自覚するようになった。

これは決して「私って普通じゃないから~」という自虐風自慢ではなく、ただただ自らを客観視して思うことだということは補足しておきたい。どちらかというと、今からでも普通と呼ばれるような人になれるものならなりたいと思う。しかし、三つ子の魂から狂っているので、無理だろうと思う。

三つ子の魂百まで - 故事ことわざ辞典

独り暮らしを始めると、「もっと働かなければ」というような焦りを感じるかと思っていたけれど、意外とそういうことはなかった。むしろ、以前よりも落ち着いている。

この部屋に決めた理由は、とにかく静かだったから。周りに店らしい店はなく、少し歩いた場所にコンビ二があるぐらい。夜歩くと、真っ暗な道の途中が突然コンビニの明かりで明るくなって、幻想的にすら思えるほど。集まる場所がないから、皆、家に帰る。皆、いつも、どこか集う場所を探しているのだろう、

少し離れた場所に、商店街がある。寂れてはいるけれど、ほど良く活気がある。閉まっている店もほとんどないし、いつも人が行きかっている。そこに、食料の調達にたまに伺う。昔ながらの八百屋に肉屋。少し昔にタイムスリップしたような気にもなるけれど、その場所はずっと前から通っていたような気がするほど心地良い。

今日は、八百屋で白菜を買った。大きな白菜を、丸ごと一玉。独り暮らしでそんなに食べるかと思われるかもしれないけれど、丸ごとの白菜は、葉をちぎりちぎり食べていけば、とても長持ちするのだ。ひと冬の間、もつと言われているほど。

私は独り暮らしをする時、どれだけお金に余裕がある時でも、しばらくは貧乏だと思い込んで生活をする、と決めていて。今はそれをとてもとても楽しんでいる。家具に関してはそこまでけちることはしないけれど、食だったり、消耗品だったりについては、とことんケチるようにしている。

これまで、肉は一度も買っていない。鶏の皮ばっかりをたくさん買い込んでいる。この部分が嫌いだという人もいるけれど、私はとても好き。味はもちろんのこと、調理する過程も楽しくて好き。

鶏の皮を鉄のフライパンに放り込んで、がんがん火を焚くと、どんどん油があふれ出てくる。鉄フライパンの中はすぐになみなみの油で満たされて、鶏の皮は自らが出した油で揚げられていく。この変化が、とても楽しくて仕方がない。

私はいつもこの光景にうっとりと見惚れ、うっかり焦がしてしまう。毎度のようにそれを繰り返している。そろそろ良い加減を覚えねばと思いつつ、あまりにも楽しくて。

この油は、香味野菜と一緒に火を通して保存すると、炒め油なんかにも使えるらしい。が、私はそれはしていない。ライターをしていると色々な健康情報に触れるものだけれど、「油の酸化」が気になってしまう。熱を通した油なんて、使う時にすっかり酸化しきっているのではないだろうか。なんて、思っている。実際には外食でたくさん摂取しているのだろうけど、見てわかるものは、気になってしまう。

こうして作ったおかずに、味噌汁に、玄米が、いつものご飯。

玄米なんて、質素なふりをしながら白米より高いんじゃないの、と思われたかもしれない。私も、今の世では玄米は白米よりも高価だから、貧乏暮らしがモットーの今、諦めなければいけないと思っていた。

しかし、不思議なもので、引っ越したタイミングで、なぜかクライアントから大量の玄米をいただくことになった。引っ越す、とか、米代が、だなんて、一言も話していない。それなのに、まるで私が欲しがっていることを知っているかのように、大量の玄米をくれた。驚いた。

米代ってどんなもんだったっけ、高かったっけ、と考えていたら、調べるよりも早くいただいたので、とても不思議な気持ちになった。

最近は、こういう不思議なことが割とよくある。「ああ、欲しいなぁ」と思っていたら、ぽんと目の前に現れるというようなことが。

文章の仕事を始めてから、縁というものの不思議さやありがたさを思い知ることがとても多くある。これまで何を頑張っても得られなかったもの、気付けなかったものが、ただ自分のやりたいことを真剣に誠実にやろうと腹をくくっただけでこんなにも。あまりものありがたさに涙することも珍しくない。

もちろん、辛いこともたくさんある。「女ひとり自営業、やっていきたいんだったら」なんてしょうもないことをのたまうおっさんもいる。もっと酷いことを言う人も、する人も、いる。

けれどその度に、私は誰かに助けられる。もう駄目だろう、もう誰も私のことなんて助けてくれないだろう、好きなことを好き勝手やっているのだから仕方ない、独りでだって生きていってやるさ……と思うのに、いつも、誰かが助けてくれる。

それは、文章の仕事を始める以前からそうだった。生きていることが辛くて逃げだそうとした私を、この世界に繋ぎとめてくれる人たちがいた。だから、私は今生きている。それは、今の仕事うんぬんは関係のないところだと思う。

けれど、なんだろう。自分のやりたいことをやって築いた縁や信頼関係がそこに在ることの喜びがそれに加味されて、余計に嬉しくなる。私のやった仕事がそれだけ評価されたということでもあるのだから。もし適当な仕事をしていたら、きっと、今みたいにはなっていなかっただろうから。

なんてことを考えながら、食事をする。そうすると、質素だなんてことを忘れるぐらい美味しくて、心が満たされて、ああ生きていて良かった、と思える。

心にも少し余裕が出てきて、本を以前よりも読むようになった。ゆったりと心に余裕を持ちながら本を読む時間を持つだなんて贅沢、あと何年先になるかと思っていたけれど、ぽっと手に入ってしまった。私にとっての贅沢なんて、ちっぽけなものだ。

最近、読んだ本。短い時間で読める短編が欲しいなぁと思って手に取った。思ったより内容が軽くって拍子抜けした。けれど、この小説の中には女性の語りが多くあって、その軽やかさに、少しだけ影響されたりしている。

輝く夜 (講談社文庫)

輝く夜 (講談社文庫)

 

とはいえ、私は読むよりも書くことの方が好きで、読んでいる時間よりも書いている時間の方が圧倒的に長い。このブログも気が付けばなかなかの文字数になっている。時々、自分で驚く。書くことは、なんてこんなに楽しいのだろう。嫌なことも時間も全部忘れて、書いてしまう。

もっと、もっともっと、もっとたくさん書きたい。それを誰かに読まれたい。そして何かを言われたい。否定でもいい。肯定的な感想だったら大喜びだ。私は文章を褒められることが好きなのではなく、それを通して心を触れ合わせたり、議論をしたりするのが好きだ。

否定されることが怖いと、ブログを書く前は思っていた。けれど、否定されればされるほど、自分の中の感覚がどんどん研ぎ澄まされて、今まで見えていなかった自分が見えることがある。それは新しく現れる訳ではなく、ずっと前から私の中にいたんだけど、目を向けていなかった自分。そうした存在に「否定」で気付くことがある。そうしてたくさんの自分と向き合えることが、とても楽しいし嬉しい。すごく悲しかったり悔しかったり腹が立ったりするけれど、それでも、自分と向き合って会話できたときの喜びがとてつもないもので。私という人間がどんどん研ぎ澄まされて尖っていく。

それを望まない人もいる。丸く朗らかで柔らかく、刺さっても痛くないような風体でいた方が喜ぶ人もいるだろう。

けれど私は、自らが尖って光ることが、とても誇らしく思える。

今は、こうして核心をつかない話ばっかりブログにしたためているけれど、いつかもっと、核心をついた話ができるようになりたい。そしてもっと研ぎ澄まされて尖って、もっともっと他人と、自らと、社会と向き合っていけたら。

そんなことを夜、独り、小さな部屋で思うのでした。

独り立ち

独り暮らしを始めた。

生まれて初めての独り暮らし。あれが面倒だこれが面倒だともっと騒ぐ羽目になるかと思っていたけれど、驚くほど快適な生活が送れている。私にとって、家族がいるという煩わしさの方が、家事をする煩わしさよりも上回っていた。掃除も、洗濯も、全く苦にならない。

 

新生活、というものは、もっと胸が高鳴るものかと思っていた。実際、結婚したときの新居で初めて眠った日は、もっとドキドキしていたように思う。

まるで、この部屋は、以前から私のために用意されていて、ここに住むことが決められていたかのように快適で、何もドキドキしない。もうずっと昔から住んでいた家のようだ。今まで住んでいた家と、全く似た部分なんてないのに。こんな部屋があったのかと、嬉しく思う。

何より嬉しいのは、この部屋は、私の文章がお金に変わった結果であるということ。

私が必死に頑張ってきた姿を見守り続けてくれた人たちは皆、「お城だね」と言った。

新しくもない1Kの部屋。お城のような豪華なものではないし、置いてある家具や家電は機能的でメカニックなものが目立つから、城というより基地だ、と、私は思っていた。

けれど、「お城だね」と言われて、とても嬉しくなった。

文章の城を築き上げた。私はこれまで、こんなにも何かを成し遂げたことはなかったように思う。

これまで会社に属していていただいていたお金と、全然違う。私の意思が、誠心が、正義が、善意が、悪意が、あらゆるものが染みこんでいるお金。それで買った、家具や家電。私は結婚したときに家具家電を選んだ時と、全く違う選び方をした。

華美でなくてもいい。機能的で、できれば鉄よりも木でできていて。そうした希望を叶えてくれるのなら、少しぐらい多めにお金を出してもいい。だって、これからずっと付き合っていくのだから。でも、そんなにお金持ちではないから、しっかりと吟味してそれなりのものを。

家電は、必要最低限でいい。テレビはまだいらない。でも大きなプリンターは欲しい。たくさん紙を印刷しても歪まない、インクも綺麗に出る、頼もしいやつ。

ずっと憧れていた長机も買った。180センチもある大きな長机。紙をたくさん広げておきたかった。書きたいときに書きたいことが書けるように。

すごく悩んだけれど、化粧台も買った。私が最も苦手とする片付けを少しでもきちんとできるようにしようと考えた時、最も散らかりやすいのが化粧品だと考えた。私はできるだけきちんと化粧をするようにしていて、それは誰にも馬鹿にされないために。毎日使う細々とした物を毎日きちんと片付けるには、片付けやすい箱があればいいと思った。

ホームセンターで偶然出会った大きめのクワズイモも買った。やっぱり、植物は欲しい。以前大事にしていたクワズイモは、元夫にちょん切られて枯れてしまった。今度こそ大切にしようと、枕元に置いた。

朝は日の光と、小さな電車の音で目が覚める。クワズイモの葉の上に葉水が光るのが見える。少しして、長机に向かって座る。日記を書く。昨日一日がどんな日だったか、思い出してひたすら綴る。時間が許されれば1時間ぐらい没頭して書き続けている。何ページ書いても書くことが尽きない。

周りはとても静かだ。住宅街の中、ほとんど騒音がない。ドアと窓を閉めれば、とても静かで、心まで鎮まるようで。

 

実家にも、結婚していた時の家にも、私はいつも何か不満を持っていた。あれが足りないこれが足りないと買い足してはみるものの、満たされることはなかった。今、とても満ち足りている。ただ書いているというだけで。

こうして書けることは才能なのだと、ある人が言った。嬉しかった。けれど、悲しかった。言った本人ならわかると思うけれど。

まだ不完全な文章の城で、文章を書き散らす。こうしているだけで幸せなのに、どうしてそれを奪いに来る人がいるのだろうか。心の平穏を、奪わないでほしい。奪われるぐらいなら、私は。

 

やる気スイッチ

やる気なんてものは存在しないらしい。

r25.jp

 

やる気」という言葉は、「やる気」のない人間によって創作された虚構なんですよ。 

人間は言葉が発達したことで、行動の結果にしかすぎないものに対して「やる気」なんて言葉をつくってしまった。それに翻弄されているだけなんです。 

「僕には才能がないからできません」と言い訳をして何もしない、という理屈と同じようなものかと思った。才能がないからできないのではなく、何もやらないから才能がないのだと私は思う。「文章が書けるって才能ですね」と言われるけれど、ずっと書いてきたから書けるだけで、これが天からの授かりものかと聞かれたらよくわからない。生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったというような逸話があれば天からの授かりものだと自信を持って言えるのだけれど。

唯我独尊 - Wikipedia

「体が小さい方が短距離走に向いている」というような素質は間違いなく生まれついてのものなのだろうけれど、体が小さい人が必ず短距離走者になるとは限らない。素質を活かして道を選択し、努力をするから「才能」として芽を出すのだと思う。私はねちっこくしつこく考えたことを言葉にしようと足掻いたからこそ今がある訳で、才能というものが本当にあるのであれば、こうした執念のようなものの方が才能に近いのではないだろうか。一時期流行って一瞬で消えた十三星座占いでは蛇使い座である私は、執念深く生きるという星のもとに生まれたのだろうと思う。最近は、月星座というものも流行っているようで、雑誌やWEBサイトでもよく目にするようになった

お金の「引き寄せ力」を知りたいあなたへ Keiko的Lunalogy

お金の「引き寄せ力」を知りたいあなたへ Keiko的Lunalogy

 

 知人にこれを薦められて読んだ。私は蠍座らしい。占いや引き寄せとか言うと「そんなエビデンスがないものを信じるなんて」と言われることがある。けれど天動説か地動説かと騒がれていた時代は、現代では常識である地動説ですらオカルトだったのではないだろうか。そう思えば、今オカルトとされているものも100年後には何かしらエビデンスが取れているかもしれない。潮の満ち引きが月の引力に影響されているのであれば、人間も、何かしら影響を受けていてもおかしくないと私は思う。

海の自然のなるほど 「潮の満ち引き」

それに、そうした確証のない意味のないことを生活に取り入れることで前向きに考えて人生を選択していけるのであれば、「エビデンスのないものは意味がない」として生きてネガティブな選択をしてしまう状態よりも余程良い状態なのではないだろうか。意味がないことを徹底的に退けることに、私は、あまり意味を感じない。エビデンスがあろうがなかろうが、自分自身がそれでより良くなればいいのだと思う。というより、そう揶揄する人は、本当はエビデンスがあろうがなかろうが実はどっちでも良くて、ただ目の前の私を言い負かしてやりたいのだろうと思うこともままある。今流行りのマウンティングというやつだ。先日「女子会」と呼ばれるただの飲み会で話題になったのだけれど、達観している風を装い「はい、それマウンティング~」と言ってさりげなくマウンティングしてくる「達観マウンティング」の事案が相次いでいるらしい。バラエティ番組で「今話題のセクハラですが」とトレンド扱いされるまでに話題のセクハラが問題になる中で「すぐセクハラって言う」という問題も浮上している。これも被害者多数だ。自衛も大事だとは思うのだけれど、相手を思いやる気持ちも大事だと思う。今の時代に必要なのは、人と人の対話だと思う。

やる気を出すためには脳のスイッチを入れる必要がある

最終的にやる気のようなものは脳内物質的なものだけれど、それを出すためには脳のスイッチを入れる必要があるらしい。1つのことに集中すれば脳のスイッチが入って目の前のことに真剣に取り組めるらしい。

その情報を参考に、思うままに思うことを書いてみたら、妙に頭がすっきりしてやる気が出た気がしなくもない。今、私の脳内で、私がやる気だと思い込んでいる脳内物質が出ているのだろう。虚構のやる気の正体。今度時間がある時に何と呼ばれるものなのかを調べてみようと思う。もし何という脳内物質なのかがわかれば、今一部で話題になっているバイオハックとやらで、それに該当する脳内物質が出せる方法があるのではないのだろうかと考える。

私がバイオハックという言葉に出会ったのはシリコンバレー式頭が良くなる全技術という本。これに従って冷水シャワーを浴びたら家の中で遭難したようになり死にかけた。何事も程々にするということを念頭において生活しなければそろそろ私は死ぬ。

HEAD STRONG シリコンバレー式頭がよくなる全技術

HEAD STRONG シリコンバレー式頭がよくなる全技術

 

そろそろノートパソコンの電池がなくなりそうだ。ドヤWindowsを中断して帰宅しようと思う。やる気が出たので、きっと、仕事が捗って仕方ないはずだ。