底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

This is me

「ビジネスのためにブログを始めました」

「ライティングのこと教えてください」

という人が周りに増えた。

「毎日更新しているんです」と、聞くと、私ももう少し日々のことを更新しようかなという気になった。

ということで、どうでも良い日常的な思うことを書いてみようかと思う。

 

最近、カフェインを抜くようにしている。先日ちらりと書いたように、右手が麻痺したことがきっかけ。

なぜ右手が麻痺してカフェインを抜くのか。

単純に血行を良くすることが目的。

私は全身の筋肉ががちがちに固まっているらしい。その中でも特に右手が酷いらしく、神経を圧迫して麻痺してしまったそう。実は今もまだ右手の薬指と小指がまともに動かず、右手は3本の指でタイピングしている。

整骨院の先生が私の右腕の筋肉を触り「うわっ」と言った。

友人が私の右腕の筋肉を触り、「骨?」と聞いてきた。

それぐらい、固い。名誉の負傷だと私は言い張る。時折蹲るぐらい痛むので、その時はそれどころではない。

今年に入ってからは、去年に増して書いている。特に2月と3月は小説を仕上げるために、昼も夜もなく書いた。

家にいる日は、夜中に書き終えて、早朝に書き始める。

朝起きてそのままパソコンの前に座り、書き、体力がなくなってきたら食べ物を胃の中に詰め込み、パソコンの前に座り、書き、考え事をしている時間に入浴し、上がったらパソコンの前に座り、書き、ひと段落ついた時に倒れるように眠った。

外に出る日は、ノートとiPad、もしくはノートパソコンを必ず持ち歩き、5分でも時間があれば書く。考える。

iPadだと書きにくいので、できるだけパソコンを持ち歩いた。

「重そう」「それ、要る?」と結構聞かれたけれど、要る。書きやすい状況を作れば作るほど、思考がクリアになる。と、私は思っている。書きにくい状況を排除するためだったら、どんな努力も惜しまなくて良かった。

特に3月はそんな生活だった。仕事量を極限まで減らして時間を作って書いた。

夢中だった。気が違ったみたいに楽しかった。多分、気が違ってた。ランナーズ・ハイに近い状態だったと思う。

「ここまで必死になって書いて、この小説が何の意味を成さなかったらどうしよう」と思い、バッドトリップしたこともあった。意味を成さなくても意味はある、と、冷静になった今となっては思えるのだけれど。

あんなにも取り戻したいと願ったこの溺れるように泳ぐような感覚を取り戻したのだから、それだけでいいのだと思う。

小説を何度も何度も書き直して、文章ととても長い時間向き合った。理解が深まった。今、文章を書くことが、以前よりも楽しい。

そしてこの感覚を取り戻せたのだから、二度と失わないように努力できる。私は今、とても強いと思う。

なんてことをしていたら、右手が麻痺した。右手よりも頭の方がおかしいんじゃないのと思われるかもしれないけれど、それはカフェインを抜いたぐらいではどうしようもないのでもうどうでもいい。This is meだ。グレイテストショーマン面白かったです。This is meのくだりで泣きました。それ以降の流れは少し納得がいかなかったけれど。

とにもかくにも、右手を回復させるために必死のここ最近。

普通の会社員だったらこんなことはなかった。そういう生活がそもそもできなかった。今の生活で本当に良かったと、今の生活を構成してくださっている方々への感謝は尽きない。それまで見守ってくれていた、元夫にも。

カフェインをやめて、温泉水を飲んでいる。血液を循環させるために、やたら体を揉んでいる。友人と会話をしながらもずっと揉んでたら「たまには休んで」と言われた。多分、この休まない癖も血行不良に影響していると思う。

どんな理由があるにせよ私は落伍者だから、人の倍努力してようやっと人並みで、人として扱われるにはそれ以上の努力をしないといけない。常々そう思っているから、血行も悪くなるのだろうと思う。この思考を中断することができればいいのけれど、頭がおかしいのは、もう、どうしようもない。

この社会を巡り続ける人的な理不尽とそれを循環させるストレス

今、右手の一部が麻痺していてうまく動かない。

文章仕事の休憩に趣味の文章を書く、ということをしていたら、指の神経がやられた。文章を愛し過ぎたゆえの損傷に、私は心から喜んだ。そうそう努力が認められない世の中で、物質が私の努力を認めたのだから、これはとても素晴らしいことなのだと。毎週2、3回の通院を余儀なくされたとしても。愛は痛いものだと聞いたことがあるから、もしかすると、私は文章から愛を返してもらっているのかもしれない。

 

だなんて空想を繰り広げて喜んでいる最中、事件は起こった。

 

「普通に生きていたらそんな大層な事件にそうそう遭わない」と言われるけれど、面倒なので「ですよね~」と返事するけれど、私はなぜかトラブルが向こうからやってくる。

「そんなこと言って、何かしらトラブルに見舞われる原因があるんだって」と言われるけれど、「ですよね~」と返事するけれど、本当に一方的に向こうからトラブルがやってくることが、多々ある。「そういう星のもとに生まれた」としか説明がつかないことが、世の中にはある。

 

例えばその昔、仕事で終電になった日。電車から知らない男に尾行されたことがある。

あからさまに尾行されていた。ひと気のない道に入ったら危ないと思い、帰り路の途中にある女子トイレに逃げ込んだ。

周りの施設はとうに閉店している時間。電話で家族を呼んだけれど、助けに来るまで時間がある。それまでトイレの個室に閉じこもろうとそこで待機していた。

 

ドアがノックされた。警備員だった。「助かった」と思った。

「今、変な人に追い掛けられていて」と言うと、

「は? 誰もいないけど。あんたは頭おかしいのか? このトイレはもう鍵を閉めるから出て行ってくれ」と言われた。

「本当についさっきここに入って、本当にいたんです。近くにいるかもしれないので、すぐに家族が迎えに来るので、五分だけ待ってください」そう言うと、

「じゃあ、あんたが入ったまま鍵を掛けてやるよ。これで安心だろう」

と言って、警備員は笑った。背筋が凍った。

 

押し問答をしている間に母が迎えに来てくれたので、私は事なきを得た。

 

この事態を、どうしていれば避けられるのか。何1つとして能動的に事件を起こそうとはしていないのに、知らない男に追い掛けられ、早く帰りたい警備員に責められる。もうとっとと死ねとでも言われている気分だった。

「おかしな人に会う前におかしな人だと思われるために奇声を上げながら帰れ」

と、本気なのか冗談なのか馬鹿にしているのかわからないけれど、提案されたことがある。実行したことが一度だけあるけれど、一度だけで心が折れた。お風呂のお湯が優しく思える程に落ち込んだ。若気の至りだ。

 

こんな事件に見舞われ、あんな事件に見舞われ、最近ではこのような事件に見舞われた。

 

その夜、私は電車をひと駅乗り過ごしてしまい、タクシーに乗ることにした。

閑散とした駅前のタクシー乗り場。一番前に停まっているタクシーに乗り込み、目的地を告げ、疲れに身を委ね、目を閉じて時間を過ごした。

そう遠くなかったのですぐに到着し、眠っていた訳ではないのですぐに起き、財布を取り出した。

 

1320円の支払い。

まずは千円札を出した。運転席と助手席の間にあるコイントレーに、置いた。

次に小銭入れを探り、五百円玉を取り出した。コイントレーと手の距離が3センチあるかないかのところで手を放し、小銭を置いた。少しだけコイントレーの上で小銭が転がった。とは言っても、飛び跳ねた訳でもなく、転がり回った訳でもなく、ころり、ぱたん、といった様子だった。特段、珍しい光景ではなかったと思う。

 

それを見た運転手がおつりを渡しながら私を睨み、

「お金を投げないでください」と言った。

 

運転手の言うことを、私はすぐには理解できなかった。

「投げてませんけど」普通に思ったことを答えた。

 

「投げた」「ふざけるな」と激昂する運転手に

「投げていません」「コイントレーの上に置いただけです」と言い返した。

 

言い返してくるとは思っていなかったのだろうか。

運転手は「とっとと降りろ、警察を呼ぶぞ」と言い出した。

 

「呼べばいいじゃないですか」と、私は答えた。

売り言葉に買い言葉というよりも、この時はまだ、もし私に非があるのであれば私が警察に怒られた方が良いと思った。

そこまで悪いことをしているのに自覚がないのであれば、全面的に私が悪い。そこまで怒るのであれば、可能性はあるのかもしれない。そう思った。(冷静に考えたら、そんな訳がない)

 

運転手は「わかった」と言って、タクシーの扉を閉めて走り出した。

「近場の交番まで直接行ってやる」とのことだった。

 

夜中、他の車がほとんど走っていない道路、パニックになっている私、恐らくパニックになっているであろう運転手を乗せて走るメーターの切られたタクシー。

本当に交番の前まで行くだなんて保証もない。無事で帰れるという保証も。

「とうとうニュースデビューか」と思いつつ、停まった地点で彼がどう出るかでどうするかを考えようと思い、スマートフォンを握り締めた。

スマートフォンの上部を人差し指と中指で支え、他3本の指で左右を包む。この状態でスマートフォンの下部を人の顎に思い切り当てることで、一瞬、相手を怯ませることができる。波乱万丈な人生の中で得た護身術の1つだ。油断している相手にしか使えない。失敗したら二度目はない。この技は慎重に繰り出さなければならない。そんなことを考えていると、少しだけ息が弾んだ。

 

心配は肩透かしで、タクシーは本当に交番の前で止まった。 

「荷物を持って先に降りろ、俺が先に降りたらお前が金を持って逃げるかもしれんからな」と運転手が言った。

降りた瞬間逃げるつもりなのは、切られないエンジンが物語っている。 

この人、適当に喧嘩を売って後悔している、と、その時気付いた。

投げてもいない金を投げたと言われ、望みもしない交番の前まで連れて来られて、荷物を持って降りろと言われている。

こんな理不尽、許してなるものか。

駆逐してやる。そう思い、「そっちが逃げる気満々でしょう」と、その場で警察に電話をした。警察には昔からお世話になっているから、呼ぶということに抵抗は一切なかった。

 

警察官が来た。私は保護(?)された。私は怒りとパニックで泣きながら、事情を話した。

5分も経たないうちに、運転手の話を聞いていた警察官がやってきて

「運転手さんが謝るって言っています。連れてきていいですか」

と聞かれたので「いいですよ」と答えた。本当に謝ってくれるのだと、その時はまだ信じていた。

 

運転手は、ふんぞり返り、「どーもすみませんでした~」と適当に謝ってから、踵を返した。

タクシーに乗って、逃げて行った。

 理不尽だ。

何で私は、夜中、正規のタクシー料金を支払って、よくわからない喧嘩を売られ、目的地ではないところで降ろされ、置いて行かれなければならないのだろうか。

めちゃくちゃ悔しくてその場で泣き崩れた。

 

「立場上、あんまり言ったらダメなんだけど、あれはあの兄さんが悪いな」

と、警察官がパトカーで家まで送ってくれた。パトカーに乗るのはどれぐらいぶりだろう、と思ったけれど、よくよく考えてみたら初めてだった。(よくよく考えてみたら去年か一昨年に乗った。保護(?)された時。語る程でもない被害届を出さない程度の事件にはたまに遭う。そういう星のもと)乗ったことあるのは現場検証に行く時のための刑事カーだった。

どちらにも共通していたことは、警察官も刑事も私のことを必死で慰めてくれたということ。

 

逃げる直前、タクシー会社の名前を記憶したが、車のナンバーを記憶できなかった。運転手の名前を確認しようとしたら名前の書いてあるプレートを隠されたのでちらりとしか見えなかった。

「これであいつはお咎めなしとか本当に無理」と号泣しながらこぼすと、

「タクシー会社は、その時間に運転手がどこにいるか把握しているから、会社にかけてごらん」

と警察官がアドバイスをしてくれた。

帰ってすぐ、タクシー会社に電話をかけた。電話に出た人は、その人の上司のようで、話をしたところ、

「あの、頭つるつるで髭の奴ですか」

すぐにそう答えた。本当にこう答えた。

恐らく、他にも問題を起こしていたのだろう。そいつはすぐに捕まり、「必要とあらば今すぐにでも謝罪に」とおっしゃっていただいた。

 

翌日、やたらでっかい和菓子の箱を持って謝りに来た。和菓子はいらないから運賃を返せと思ったけれど、そういうのが目的と思われたくないのでやめた。

その夜のことを最初から最後まで反芻して言葉にしていただき、足りないところを私が付け加え、すべてを思い出していただいた上で「申し訳ございませんでした」と謝っていただき、帰っていただいた。このぐらいはしてもいいと思った。悪人だろうか。

 

和菓子は、少しだけ食べた。けれど、食べる度に怒りが蘇るので、友人宅に持ち込み、酒のあてにした。

こういう話をすると「でもあなたも悪いところがあったんじゃないの?」と言われることがあるので、あまり大っぴらには話をしない。事件そのものよりもこういうセカンドレイプ的被害の方がメンタルにくることを私は知っている。

その友人は「私もなぜかわからないけど異物混入食品によく当たるから、同じようなものね! 原因なんてないない、星のもと!」と和菓子を食べながら言ってくれた。すごく好き、と思った。

 

直後は、腹立たしくて仕方がない、だけだったけれど、冷静になった今、考えてみると。

 

ただ「小銭が転がっただけ」で「警察」と言った彼は、相当にストレスがたまっていたのではないだろうか。

それが仕事のせいなのかプライベートのせいなのか、何なのかわからない。ただよっぽど日々の生活では吐き出し切れない何かを抱えていたのだろうなと。

私は弱そうな見た目をしているので、勝てると思われたのだろうなと思う。

幸せそうな顔をしているので、少しぐらい八つ当たりしてもいいだろうなと思われたのかもしれないとも。

 

いい訳ないだろう!

私だって、日々全くストレスがない訳じゃない。辛いことだって酷いことだって、ある。

けれど、それをむやみやたらに表に出すことは誰かにそれを分け与えるということだから、極力しないようにしている。そうしているうちに顔に笑顔が張り付いた。だから私はいつでも「幸せそうな顔をしている人」らしい。

だからなのか、よく八つ当たりされる。少しぐらい、悪く言っても、雑に扱っても、いいんだと思われやすいのだと思う。

そういう扱いに慣れてしまったので、多少のことでは怒らない。拒みもしない。むしろ、受け入れる。笑う。その方がその人と仲良くなれるから。仲良くなれば、もうその人は私を傷付けないから。まぁ、八つ当たりするだけしてすっきりして、どこかへ行ってしまう人もいるけれど。それも、慣れた。

 

独りで歩いていると、未だにフラッシュバックでうまく歩けなくなることがある。

そうなる度に、過去や他人に対する恐怖と、私が「そういう狂人」だという現実を突きつけられて、苦しい。立ち止まり、肺に息を送り、耳を塞いで、「早く殺してくれ」と願う。物凄いストレスだ。

けれど、そういう発作があるという話どころか、病気であることすらリアルでは滅多に打ち明けない。こうした症状で今も苦しんでいるという話は、誰にもしたことがない。せいぜい、眠りが浅い程度の話だけ。

話をしたところで、何の意味もない。私はPTSDだし、過去は変えられないし、記憶は消せないし、治す薬はない。ただ可哀相な人だと思われるだけなら、歯を食い縛って堪えた方がましだ。物凄いストレスだ。

 先日、歯医者で「この年齢でこんなに歯がすり減っているなんて」と驚かれた。身を削って(正確には骨だけど)ストレスに耐えている。自分の中で処理している。社会の中で生きていくために。

 

理不尽に与えられたストレスだからと言って、理不尽に他人になすりつけてもいいと思う人がとても多いように思う。私がそういう目に遭ったのだから、他の人が同じ目に遭ってもおかしくないと。

そういう意識が、ずっと、悪いものを社会の中で循環させている、と思う。

理不尽なストレスが生み出される一方で排出されずにいるから少しずつ溜まり、空気は淀み、その中で生きる人も。

 

私はもう悪いものの餌食になりたくない。だから、そうしたものが社会から取り除ければと願うのだけれど、私にできることはとても少ない。こうして出会った人に、こうした思いを伝えられるシーンに出会った時に、伝えるしかない。

なので、運転手には目いっぱい、説教させていただいた。響いてないとは思うけれど、「売った喧嘩が購入されてしまうことがある」という強烈な経験は、彼の人生のこれからの何かを変えるのではないだろうかと少しだけ期待をしている。

 

理不尽はどう足掻いても自然発生する。だからこそ人的な理不尽が少しでも減れば、と、今日も願う。

複雑性PTSDとドーパミン

私はPTSDだ。恐らく、複雑性の方。

複合的な心的外傷後ストレス障害 (C-PTSD) は、暴行、性的虐待家庭内暴力拷問及び戦争のような長期の対人関係の外傷に起因する臨床上で認識された病気である。 

複雑性PTSD - Wikipedia

恐らく、というのは、きちんと診断されたことがないから。

該当する体験があり、症状がある。けれど、診断というものを受けなければ断定してはならないらしい。だから私は「恐らく」だ。

裁判をする際に病院から出してもらった診断書には「PTSDだと判断できる材料がある」程度のことを書いていただいた。当時は、PTSDだと診断することも大変だったから。もう十年ぐらい前かと思うと、不思議な気持ちになる。

診断されてもされなくても、私はどちらでもいい。複雑性PTSDという概念が存在していて、私がそれに当てはまり、本やネットでそれの対処や研究などを見ることができれば、それで。他者に認められることはどうでも良くて、私が私の状態を認識するための手段として、こうした情報を活用したい。

「それ」だと定義されるための情報を読めば読むほど、ああ私だ、と思う。それは私が特別なのだと思う訳ではなくて、こうして何かしら定義されるほど、私はありふれたものなのだと思える。それが嬉しい。私は「人」なのだと。

複雑性PTSDのことを調べている最中にこんな言葉にも出会った。

アダルトサヴァイヴァーもしくはアダルトサバイバー(Adult Survivor)とは、幼少期に機能不全家庭で育ったり、成長の過程で心的外傷を負わされたことにより、何とか生き延びて思春期・成人期に達してはいるものの、人間成長のどこかの段階を喪失したために、その好ましくない影響を心身に色濃く残している人々をいう。

アダルトサヴァイヴァー - Wikipedia

そうか、私はこういう立ち位置なのかと思えば腑に落ちる。私はそもそも性質が違う生き物なのだと思えば、私は社会の中で自分の身の置き所を「人」とは違うところに置くことができる。

「人」であるために、「人」とは違うところに自らを置く。今の私の処世術をまとめると、そういうことなのだと思う。

話は複雑性PTSDに戻る。

心療内科に行けば、薬を出される。ようやく薬が1種類になって落ち着いているのに、これ以上、薬を増やしたくない。

昨年、あらゆる事件を彷彿とさせる恐ろしい事態に直面した時、以前に飲んでいて残っていた薬を服用したことがあった。頭がぼんやりとしてふんわりとして、ぶあつくて柔らかい繭のようなものに包まれているような感覚で、事件と共に自分の輪郭がぼやけた。やっぱり、もう飲みたくないと思った。以降、救心に頼っている。責任世代のプレッシャーが助かるのであれば、私も何とかなるかもしれないと思って。効いているかどうかは知らない。気休め。

今私が常用しているのは、コンサータという薬。

これはPTSDの薬でもなければ精神安定剤でもない。ADHDの薬。

ADHDの症状は過剰に分泌されるドーパミンが再取り込みされることで表れている」という説に基づき、その再取り込み口に蓋をしてやろうという仕組みのもの、らしい。

私はコンサータを常用し始めて随分とラクになったので、ああ、私はADHDだったんだ、と思っていた。実際にそうなのかもしれないと今でも思っている。色々ぶっ飛んでるし。

しかし、最近知った。

PTSDの症状として、怖い思いをした時にドーパミンが放出される」というようなものがあるらしい、ということを。

戦場でPTSDを患った人が銃声を聞いた時にドーパミンが放出されたとか。詳しくは知らない。

ちらほらこれまでブログにも書いてきている通り、私は幼い頃からおかしな子供だった。それはADHDだからなのか、PTSDだからなのか、わからない。PTSDの原因だろう事件が物心つくかつかないかの頃のことだから、そうかもしれないし、そのこと関係なくADHDだったのかもしれないし。

そうした人生を過ごして30年と少し、2年前ぐらいだっただろうか。自分がPTSDではなくADHDではないかと疑い始めたことがあった。その際、コンサータを処方してもらった。

テストの結果、能力的には問題なかったにしろ、普段の生活にADHDに該当する症状があるということで処方してもらった。

それ以来、コンサータを飲み続けているが、随分とラクになった。今まともに生活できているのは、コンサータのおかげだと本気で思っている。

こうした経験と「PTSDの症状の1つとしてドーパミンが過剰放出される」というぼんやりとした情報から、PTSDの治療にはドーパミンをどうにかしてやることが効果的なのではないかと、ふと、思った。

と、こうして突然こんなことを書いたかというと、PTSDドーパミンの関係を最近知ることがあり、ドーパミンって怖いなぁ、と思ったから。

人の体の仕組みを知れば知るほど、なんて現代社会に不似合いなのだろうと思う。安全に生きることを前提として生きているから、何事かに見舞われた時、対処できない。

では何事かに見舞われる前提で生きればいいのかと考えてもみたけれど、それはそれでまともではない。常にナイフを振り回しているような人になってしまう。

ではどう生きれば現代社会に適しているのかと考えてみて、何事にも見舞われない前提で朗らかに生き、何事かに見舞われた時に冷静に現実を見据えることができればいいのだろうろ思う。

その何事かが何なのか、それを自らと、現代社会のシステムの中でどう処理することが適切なのか、冷静に。それが容易にできれば、誰も苦労はしないのだけれど。

私だってぐだぐだとこんなことを書き散らかしながら何にもできてなどいない。ただ、今の、文字をひたすら書き散らかす生活を気に入ってはいる。

複雑性PTSDとドーパミン

私はPTSDだ。恐らく、複雑性の方。

複合的な心的外傷後ストレス障害 (C-PTSD) は、暴行、性的虐待家庭内暴力拷問及び戦争のような長期の対人関係の外傷に起因する臨床上で認識された病気である。 

複雑性PTSD - Wikipedia

恐らく、というのは、きちんと診断されたことがないから。

該当する体験があり、症状がある。けれど、診断というものを受けなければ断定してはならないらしい。だから私は「恐らく」だ。

裁判をする際に病院から出してもらった診断書には「PTSDだと判断できる材料がある」程度のことを書いていただいた。当時は、PTSDだと診断することも大変だったから。もう十年ぐらい前かと思うと、不思議な気持ちになる。

診断されてもされなくても、私はどちらでもいい。複雑性PTSDという概念が存在していて、私がそれに当てはまり、本やネットでそれの対処や研究などを見ることができれば、それで。他者に認められることはどうでも良くて、私が私の状態を認識するための手段として、こうした情報を活用したい。

「それ」だと定義されるための情報を読めば読むほど、ああ私だ、と思う。それは私が特別なのだと思う訳ではなくて、こうして何かしら定義されるほど、私はありふれたものなのだと思える。それが嬉しい。私は「人」なのだと。

複雑性PTSDのことを調べている最中にこんな言葉にも出会った。

アダルトサヴァイヴァーもしくはアダルトサバイバー(Adult Survivor)とは、幼少期に機能不全家庭で育ったり、成長の過程で心的外傷を負わされたことにより、何とか生き延びて思春期・成人期に達してはいるものの、人間成長のどこかの段階を喪失したために、その好ましくない影響を心身に色濃く残している人々をいう。

アダルトサヴァイヴァー - Wikipedia

そうか、私はこういう立ち位置なのかと思えば腑に落ちる。私はそもそも性質が違う生き物なのだと思えば、私は社会の中で自分の身の置き所を「人」とは違うところに置くことができる。

「人」であるために、「人」とは違うところに自らを置く。今の私の処世術をまとめると、そういうことなのだと思う。

話は複雑性PTSDに戻る。

心療内科に行けば、薬を出される。ようやく薬が1種類になって落ち着いているのに、これ以上、薬を増やしたくない。

昨年、あらゆる事件を彷彿とさせる恐ろしい事態に直面した時、以前に飲んでいて残っていた薬を服用したことがあった。頭がぼんやりとしてふんわりとして、ぶあつくて柔らかい繭のようなものに包まれているような感覚で、事件と共に自分の輪郭がぼやけた。やっぱり、もう飲みたくないと思った。以降、救心に頼っている。責任世代のプレッシャーが助かるのであれば、私も何とかなるかもしれないと思って。効いているかどうかは知らない。気休め。

今私が常用しているのは、コンサータという薬。

これはPTSDの薬でもなければ精神安定剤でもない。ADHDの薬。

ADHDの症状は過剰に分泌されるドーパミンが再取り込みされることで表れている」という説に基づき、その再取り込み口に蓋をしてやろうという仕組みのもの、らしい。

私はコンサータを常用し始めて随分とラクになったので、ああ、私はADHDだったんだ、と思っていた。実際にそうなのかもしれないと今でも思っている。色々ぶっ飛んでるし。

しかし、最近知った。

PTSDの症状として、怖い思いをした時にドーパミンが放出される」というようなものがあるらしい、ということを。

戦場でPTSDを患った人が銃声を聞いた時にドーパミンが放出されたとか。詳しくは知らない。

ちらほらこれまでブログにも書いてきている通り、私は幼い頃からおかしな子供だった。それはADHDだからなのか、PTSDだからなのか、わからない。PTSDの原因だろう事件が物心つくかつかないかの頃のことだから、そうかもしれないし、そのこと関係なくADHDだったのかもしれないし。

そうした人生を過ごして30年と少し、2年前ぐらいだっただろうか。自分がPTSDではなくADHDではないかと疑い始めたことがあった。その際、コンサータを処方してもらった。

テストの結果、能力的には問題なかったにしろ、普段の生活にADHDに該当する症状があるということで処方してもらった。

それ以来、コンサータを飲み続けているが、随分とラクになった。今まともに生活できているのは、コンサータのおかげだと本気で思っている。

こうした経験と「PTSDの症状の1つとしてドーパミンが過剰放出される」というぼんやりとした情報から、PTSDの治療にはドーパミンをどうにかしてやることが効果的なのではないかと、ふと、思った。

と、こうして突然こんなことを書いたかというと、PTSDドーパミンの関係を最近知ることがあり、ドーパミンって怖いなぁ、と思ったから。

人の体の仕組みを知れば知るほど、なんて現代社会に不似合いなのだろうと思う。安全に生きることを前提として生きているから、何事かに見舞われた時、対処できない。

では何事かに見舞われる前提で生きればいいのかと考えてもみたけれど、それはそれでまともではない。常にナイフを振り回しているような人になってしまう。

ではどう生きれば現代社会に適しているのかと考えてみて、何事にも見舞われない前提で朗らかに生き、何事かに見舞われた時に冷静に現実を見据えることができればいいのだろうろ思う。

その何事かが何なのか、それを自らと、現代社会のシステムの中でどう処理することが適切なのか、冷静に。それが容易にできれば、誰も苦労はしないのだけれど。

私だってぐだぐだとこんなことを書き散らかしながら何にもできてなどいない。ただ、今の、文字をひたすら書き散らかす生活を気に入ってはいる。

底辺ダイバー

最近、体を鍛えている。

事の始まりは、キーボードを打っている最中に手が疲労し始めて「もう書けないよ~」となったことだった。

「底辺さん!新しい腕よ!」と投げてくれる相棒がいないため、ずっと書き続けられるように、ストレッチゴムを持って毎朝のウォーキングを始めた。気が付けば、直線を見つけては走るようになっていた。生まれて初めて、走ることが楽しいと思える時期を過ごしている。

体を鍛えれば鍛えるほど、脳に血が回っているのか、頭の回転も良くなったように思える。

ずっと表層をうろうろとしていた意識が、すっと奥の奥まで沈んでいくような感覚を、おおよそ十年ぶりにここしばらく味わっている。この感覚に陥ると、筆が進み、寝食を忘れかける。ふっと力を抜いた時、倒れるように眠る。まるでそういう動物のようだ。ハチワンダイバーが途中まで無料になっていた時期に読んだけれど、あんな感覚が近いと思う。

あそこに潜っている時は、本当に心地良い。辛いことも苦しいことも嬉しいこともどうでも良くなって、ただひたすらに手を動かす。小説を書いていると、辛いことや苦しいことを思い出しながら書くこともあるけれど、その時ですら、その気持ちは自分のものではなくて、他者のものであって、私はそれを俯瞰して実況中継しているような気持に陥る。これが、人によっては「キャラクターがしゃべり出す」という奴なのだろうと思う。

それはさておき、最近、青空文庫でちらほらと小説を読み返した中で、『人間失格』のこのくだりに、とても共感した。

人間に対して、いつも恐怖に震いおののき、また、人間としての自分の言動に、みじんも自信を持てず、そうして自分ひとりの懊悩おうのうは胸の中の小箱に秘め、その憂鬱、ナアヴァスネスを、ひたかくしに隠して、ひたすら無邪気の楽天性を装い、自分はお道化たお変人として、次第に完成されて行きました。
 何でもいいから、笑わせておればいいのだ、そうすると、人間たちは、自分が彼等の所謂「生活」の外にいても、あまりそれを気にしないのではないかしら、とにかく、彼等人間たちの目障りになってはいけない、自分は無だ、風だ、そらだ、というような思いばかりが募り、自分はお道化に依って家族を笑わせ、また、家族よりも、もっと不可解でおそろしい下男や下女にまで、必死のお道化のサーヴィスをしたのです。

私の書いているこうした文章を知らない人は、私がとんでもない楽天家で悩みがなく、強運だけで人生のあらゆるを獲得していっていると思っている人が多い。それを言われても、いちいち訂正することなく、「そうなんです。人生楽しい!」と返事をしてやり過ごすし、こうした部分に気付いた人には「そうなんです。夜中にポエムとか書いちゃう系です!」と返事をして仲を深めている。

仕事で書いている記事はとにかく媒体によって文体も論調も変えるので、本来、放置したらどのような文章を書くのかを知っている人は少ない。

人間に対する最後の求愛。人を愛しているがゆえに愛されたく、『ナアヴァスネス』や『憂鬱』をひた隠しにしなければならないと思う。こうした性質を常に剥き出しにして振る舞うのは、どうしても、乱暴なように思えてならない。自分が常人と狂人の間、もしかすると狂人に近いかもしれない立ち位置にいると自覚して、常人であるように、近いように、なじむように振る舞わなければならないと。

一部の方がお察しの通り、私は離婚した。成立したのは昨年の下半期で、去年一年、夫と共に暮らしていない。

このブログの一記事目にも別れの片鱗が実はちらりと出ていたけれど、私は夫を愛していたがゆえに、それを見ないふりをしていた。夫も恐らく、私を愛してくれていたがゆえに、それを見ないふりをしていた。もし、この世界に二人だけしかいなかったらこうはならなかったのかもしれない、と、ロマンチックな空想を繰り広げた後に、己の落ち度を思い出す。もし二人だけだったとしても、同じ結末を迎えていたのかもしれないと。

奇しくも、夫と別れてから、仕事は坂を転がる雪玉のように大きく膨れて、私はこれまで手に入れたくて仕方がなかったものを手に入れた。

「別れて良かったんだよ」という言葉は間違っていない。だって私は、お道化たお変人を気取る中で、誰にも本心を打ち明けていない上に、私の心願が成就されようとしている。何をとっても、悪いことなんてひとつもなかった。そうしているうちに、私は本心がどれかを忘れてしまった。それをいいことに「別れて良かった」を本心だと定義づけて、生活している。本当にそれが本心なのかどうかは、多分、最期の時にわかるのだろう。

全く連絡をとってはいないけれど、きっと、夫は私といた時よりも幸せにしてくれているだろうと思う。あんなにも優しい人だったのだから、幸せでいなければならないとも。

夫との暮らしは私にとって心願ではなく、助け船に近かった。助け船での暮らしは快適ではあったものの、あれやこれやと騒ぐ船員共に辟易としてしまった。そうなれば、後から乗り込んだ私が降りるしかなかった。とは言っても、私も助け船のあちこちを破損してしまっていたのだから、下ろされても仕方がない。

「最後に会いませんか」という連絡に「泣いてしまうからお断りします」と返した夫に、私はあまのじゃくなことしか言えなかった。

どれが本心なのかわからないけれど、私は今、幸せです。あんなにも愛してくれる人に出会えて、心願まで成就しようとしているのだから、これ以上の幸せはないとすら、今、思えるのです。

生きるは恥だが死ぬは罪

文章を書くのが趣味で、文章を仕事にしていると、文章の息抜きに文章を書くという状態に陥る。果たしてこれは息抜きになっているのだろうかと少し考えるけれど、実際に息抜きになっているという実感があるので、息抜きなのだろうと思う。

何故か、仕事の為の文章を書いている時と、趣味の文章を書いている時とでは、頭の使っている部分が違う。仕事の文章を書いていると額付近の頭蓋骨が固まっていくような、こうして思うままに文章を書いていると、それがほどけていくような。

ここしばらくは、小説もまた書くようになった。書き上がったらどこかに応募しようとも考えている。どうなるかわからないにしても、夢を見て腕を磨くことが許されたこの環境で、私は死ぬまでにできる限りのことをやり尽くしたいと願っている。なんとなく書ける物を書くだけというのは嫌だったので、書けない物を書く努力を、今、している。認められなければそれはそれで終わるだけで、それはそれで私の人生なのだろうと思う。ただ書き散らかすだけ書き散らかして私自身が散る結果になったとしても、何もせずに「私だってやればできるのに」と独り言ちるよりもいいと思う。

私はいつでも死にたいと思っている。殺されたいとも。実際に殺されたらそれはそれははらわたが煮えくり返る思いになり、「この恨み晴らさでおくべきか」と化けて出るとは思うのだけれど、健康で何の事件性もない今、時折こうしたことをこぼす。

死にたいのは、生きるのが辛いから。

殺されたいのは、死ぬのが罪だから。

だからいっそ、誰かに殺されてしまえば私は何の罪も負わずに楽になれるのにと考える。実際に殺されようものなら、断罪せんがばかりに相手を罵倒しながら死んでいくのだろうけれど。

今、それなりに平穏に暮らしていても、独り言は「死にたい」のままだ。実際に死にたいのではない。表現を和らげると「穴があったら入りたい」。そう、私は生きていることがただひたすらに恥ずかしいのだと思う。「生きるは恥だが死ぬは罪」、略して生き恥という言葉をブームに乗って考えもしたが、リアル社会でなかなかこのようなことを発現する場面に恵まれない。ここで発言したかった。誰かに言いたかった。

だからなんだというところで、チャットワークが止まらないのでそろそろ仕事に戻ろう。「チャットワークが止まらない」というのも、何やら語呂がいい。これをタイトルにして、チャットワークをよく使うIT系のサラリーマンがミスをした時の悲喜劇なんてどうだろうか。

ブラック会社モデルタイプのようなベンチャーIT企業が舞台で、他に仕事がなくその企業に就職をしてしまった青年が主人公で、ブラックなプロジェクトのリーダーを半強制的にやらされていて、無茶苦茶な指示の中、それでも何とか職務を全うしようと努力するも、クレームに繋がる仕事をしてしまい、チャットワークが鳴りやまず、恐怖からグループチャットを勝手に削除して逃亡するところから物語が始まり、「俺なんてどうせ駄目人間なんだ」と自死に走ろうとするも、逃亡先々で何故かITの問題に困っている人と出会い、自分の持っている知識と技術でそれらを解決し、「俺だってやればできるんだ。謝ろう」と感動的に立ち直り、会社に戻ってきて社長からの許しを得て再度勤めるものの、「許してもらった」という建前から社長に逆らえなくなり、更に仕事がブラック化していく。「もう勘弁してくれよ~」と言っている主人公の首がワイプで絞められて、めでたしめでたし。

こういうことを考えている時が、一番楽しい。

 

理解できない

そう思われることが怖かったんだと思う。

だから私は現実世界でも非現実世界でも肯定を求めて言い訳をして、優しい人が悟って与えてくれるそれらを有難くいただいて満足して、すぐにおなかが空いてもう一度それを求めて。魚の釣り方を求めているつもりで餌を与えられて回遊するだけの魚になっていたように思う。

今は、理解されなくて当たり前なのだと思っている。

だって私は恐らく一般的ではない。人として、人生として、あらゆる意味で一般的ではない。わかっていたつもりで、腑に落ちていなかった。だからそれを否定して一般的だと思われたかった。だから私は必死になって肯定を求めた。

けれど今は、一般的でなくていい。一般的でない私を受け入れてくれる世界と社会と人が私を取り巻いてくれているから。

私は私の腑に落ちた「理解できない」と言われるだろうことをこれからも書き散らし続けようと思う。

去年の今頃、私は底辺ネットライターだった。ライターと名乗ることがおこがましいのではないかと思うほどの底辺だった。

どんな世界でも、底の世界は暗くて冷たい。それはもう、狂って泣き叫びたくなるほどに。泣き叫んだ時に初めて上を見て、自分の手足でそこから這い出ることができることを知った。

自分ができていることの何に価値があって何に価値がないのかも見失っていた。やりたいという気持ちとか、そんな類のものしかなかった。それが市場に出ていくらの価値が付くのかわからなかった。形のないものに値段を付けるのは、本当に難しい。

けれど、今となっては思う。難しいと思っているうちは買い叩かれる。

「難しいなら代わりにやってあげるよ」だなんて言う人が私に値段を付ける。難しいからと思考停止していたら、それを呑み込むしかできない。

難しいからこそ考える。他人の文章を読む。私の文章を読む。私の文章を読んだ人の目を見る。感想を聞く。その反応で、自分の価値を自分で見定める。そうしていくうちに確信した。私の文章にはそこそこの価値があるのだと。

そうして、仕事を取捨選択できるまでになった。なんて贅沢なんだろう。私は喜びに打ちひしがれて死にそうになって、こんなところで死んでたまるものかと歯を食いしばる。そしてもっともっと価値を付けたくて、文章についてたくさんのことを考えるようになった。たくさんの文章を書くようになった。師と呼べる人とも出会えた。

そんなこんなをして、今では堂々とライターを名乗って名刺を配り歩くようになった。自分で考えた自分のキャッチコピーを書いた名刺。ほとんどの人はそのキャッチコピーに食いついてくれて、話題が広がる。「さすがライターさん」だなんて言われると、腹の底から喜びらしきものが湧き上がる。

最近では名刺にキャッチコピーを付ける仕事も引き受けるようになった。これがなかなか好評な上に、楽しい。期待に応えなければいけないプレッシャーはあるにしろ、期待に応えられた時の喜びは半端ない。

 

 

辛いことが全くないわけではない。むしろ、文章の仕事を続けていくということは一生勉強をし続けますと宣言するようなもので、知らないことわからないこと、拙いこと満たないことにぶつかって苦しみ続けなければいけない。それでも私は泣きながら身震いしてしまうような変態なので、この道が合っているのかもしれない。

諦めていた世界が広がって、あの頃のように世界が輝いて見える。勿論、また沼に沈むのかもしれないとも思う。何度も何度も沼に落ちてその度にもがいてきた。人生のエンディングは死ぬ時だから、どれだけ素晴らしいエンドロールらしきものが頭をよぎってもそれはオープニングでしかない。これからも多分、沼に落ちたり星を見上げたりして、生きていくのだろうと思う。

それでもいいやと開き直れるのは、何があってもブログのネタにして笑ってやろうと思えているのも1つの理由。私は善人ではないので、修羅場であろうと面白い話が好きだ。だからどんな修羅場だって面白い話に昇華してやろうと思える。そう思えると、辛くても笑える。今は目の前の事が何もかも面白くて仕方がない。生きていてよかったと思えるほどに。