底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

理解できない

そう思われることが怖かったんだと思う。

だから私は現実世界でも非現実世界でも肯定を求めて言い訳をして、優しい人が悟って与えてくれるそれらを有難くいただいて満足して、すぐにおなかが空いてもう一度それを求めて。魚の釣り方を求めているつもりで餌を与えられて回遊するだけの魚になっていたように思う。

今は、理解されなくて当たり前なのだと思っている。

だって私は恐らく一般的ではない。人として、人生として、あらゆる意味で一般的ではない。わかっていたつもりで、腑に落ちていなかった。だからそれを否定して一般的だと思われたかった。だから私は必死になって肯定を求めた。

けれど今は、一般的でなくていい。一般的でない私を受け入れてくれる世界と社会と人が私を取り巻いてくれているから。

私は私の腑に落ちた「理解できない」と言われるだろうことをこれからも書き散らし続けようと思う。

去年の今頃、私は底辺ネットライターだった。ライターと名乗ることがおこがましいのではないかと思うほどの底辺だった。

どんな世界でも、底の世界は暗くて冷たい。それはもう、狂って泣き叫びたくなるほどに。泣き叫んだ時に初めて上を見て、自分の手足でそこから這い出ることができることを知った。

自分ができていることの何に価値があって何に価値がないのかも見失っていた。やりたいという気持ちとか、そんな類のものしかなかった。それが市場に出ていくらの価値が付くのかわからなかった。形のないものに値段を付けるのは、本当に難しい。

けれど、今となっては思う。難しいと思っているうちは買い叩かれる。

「難しいなら代わりにやってあげるよ」だなんて言う人が私に値段を付ける。難しいからと思考停止していたら、それを呑み込むしかできない。

難しいからこそ考える。他人の文章を読む。私の文章を読む。私の文章を読んだ人の目を見る。感想を聞く。その反応で、自分の価値を自分で見定める。そうしていくうちに確信した。私の文章にはそこそこの価値があるのだと。

そうして、仕事を取捨選択できるまでになった。なんて贅沢なんだろう。私は喜びに打ちひしがれて死にそうになって、こんなところで死んでたまるものかと歯を食いしばる。そしてもっともっと価値を付けたくて、文章についてたくさんのことを考えるようになった。たくさんの文章を書くようになった。師と呼べる人とも出会えた。

そんなこんなをして、今では堂々とライターを名乗って名刺を配り歩くようになった。自分で考えた自分のキャッチコピーを書いた名刺。ほとんどの人はそのキャッチコピーに食いついてくれて、話題が広がる。「さすがライターさん」だなんて言われると、腹の底から喜びらしきものが湧き上がる。

最近では名刺にキャッチコピーを付ける仕事も引き受けるようになった。これがなかなか好評な上に、楽しい。期待に応えなければいけないプレッシャーはあるにしろ、期待に応えられた時の喜びは半端ない。

 

 

辛いことが全くないわけではない。むしろ、文章の仕事を続けていくということは一生勉強をし続けますと宣言するようなもので、知らないことわからないこと、拙いこと満たないことにぶつかって苦しみ続けなければいけない。それでも私は泣きながら身震いしてしまうような変態なので、この道が合っているのかもしれない。

諦めていた世界が広がって、あの頃のように世界が輝いて見える。勿論、また沼に沈むのかもしれないとも思う。何度も何度も沼に落ちてその度にもがいてきた。人生のエンディングは死ぬ時だから、どれだけ素晴らしいエンドロールらしきものが頭をよぎってもそれはオープニングでしかない。これからも多分、沼に落ちたり星を見上げたりして、生きていくのだろうと思う。

それでもいいやと開き直れるのは、何があってもブログのネタにして笑ってやろうと思えているのも1つの理由。私は善人ではないので、修羅場であろうと面白い話が好きだ。だからどんな修羅場だって面白い話に昇華してやろうと思える。そう思えると、辛くても笑える。今は目の前の事が何もかも面白くて仕方がない。生きていてよかったと思えるほどに。