底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

生きるは恥だが死ぬは罪

文章を書くのが趣味で、文章を仕事にしていると、文章の息抜きに文章を書くという状態に陥る。果たしてこれは息抜きになっているのだろうかと少し考えるけれど、実際に息抜きになっているという実感があるので、息抜きなのだろうと思う。

何故か、仕事の為の文章を書いている時と、趣味の文章を書いている時とでは、頭の使っている部分が違う。仕事の文章を書いていると額付近の頭蓋骨が固まっていくような、こうして思うままに文章を書いていると、それがほどけていくような。

ここしばらくは、小説もまた書くようになった。書き上がったらどこかに応募しようとも考えている。どうなるかわからないにしても、夢を見て腕を磨くことが許されたこの環境で、私は死ぬまでにできる限りのことをやり尽くしたいと願っている。なんとなく書ける物を書くだけというのは嫌だったので、書けない物を書く努力を、今、している。認められなければそれはそれで終わるだけで、それはそれで私の人生なのだろうと思う。ただ書き散らかすだけ書き散らかして私自身が散る結果になったとしても、何もせずに「私だってやればできるのに」と独り言ちるよりもいいと思う。

私はいつでも死にたいと思っている。殺されたいとも。実際に殺されたらそれはそれははらわたが煮えくり返る思いになり、「この恨み晴らさでおくべきか」と化けて出るとは思うのだけれど、健康で何の事件性もない今、時折こうしたことをこぼす。

死にたいのは、生きるのが辛いから。

殺されたいのは、死ぬのが罪だから。

だからいっそ、誰かに殺されてしまえば私は何の罪も負わずに楽になれるのにと考える。実際に殺されようものなら、断罪せんがばかりに相手を罵倒しながら死んでいくのだろうけれど。

今、それなりに平穏に暮らしていても、独り言は「死にたい」のままだ。実際に死にたいのではない。表現を和らげると「穴があったら入りたい」。そう、私は生きていることがただひたすらに恥ずかしいのだと思う。「生きるは恥だが死ぬは罪」、略して生き恥という言葉をブームに乗って考えもしたが、リアル社会でなかなかこのようなことを発現する場面に恵まれない。ここで発言したかった。誰かに言いたかった。

だからなんだというところで、チャットワークが止まらないのでそろそろ仕事に戻ろう。「チャットワークが止まらない」というのも、何やら語呂がいい。これをタイトルにして、チャットワークをよく使うIT系のサラリーマンがミスをした時の悲喜劇なんてどうだろうか。

ブラック会社モデルタイプのようなベンチャーIT企業が舞台で、他に仕事がなくその企業に就職をしてしまった青年が主人公で、ブラックなプロジェクトのリーダーを半強制的にやらされていて、無茶苦茶な指示の中、それでも何とか職務を全うしようと努力するも、クレームに繋がる仕事をしてしまい、チャットワークが鳴りやまず、恐怖からグループチャットを勝手に削除して逃亡するところから物語が始まり、「俺なんてどうせ駄目人間なんだ」と自死に走ろうとするも、逃亡先々で何故かITの問題に困っている人と出会い、自分の持っている知識と技術でそれらを解決し、「俺だってやればできるんだ。謝ろう」と感動的に立ち直り、会社に戻ってきて社長からの許しを得て再度勤めるものの、「許してもらった」という建前から社長に逆らえなくなり、更に仕事がブラック化していく。「もう勘弁してくれよ~」と言っている主人公の首がワイプで絞められて、めでたしめでたし。

こういうことを考えている時が、一番楽しい。