底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

変わる社会と変わらない社会と変えていきたい未来と

writer.hateblo.jp

こういう仕事はまだまだあるのだな、とこちらの記事で知った。

SEO用のブログに流し込むためだけの記事。オリジナルテキストで文字数が稼げればそれでいい。普段からパソコンを使っている人であれば、新しく内職の仕事を覚えるよりも手軽にできる仕事。

需要があり、供給があり、成り立ってしまっている。お互いが納得しているからいいのではと思ってしまうかもしれないけれど、そんな方法で検索上位に価値のない記事が出て来て、読者が騙されてしまう可能性を考えると、良しとは、私は思えない。

 

私は今、ライターとしてだけではなく、ライティングディレクターとしても活動している。契約ライターに記事案件を依頼し、記事の品質や納期などを管理する業務。

こうした活動を始めたのは、私から「やります!」と進言した訳ではなかった。ライターとして契約している、とあるメディアの編集部より持ち掛けられた話だった。

私があまりにも猛スピードで記事制作を進め、コミュニケーションも円滑にこなすため、「できると思うのですが、やってみませんか」と打診された。

「できると思われたんだったら、やってみるか」と、割と気軽に引き受けて、求人広告を出した。

人に指示を出すリーダー的な立ち位置で仕事をこなした経験もあり、ディレクションをすることは難しくなく、自分でも思った以上にスムーズにいちビジネスとして「ディレクター業」は確立していった。

今となっては、「安心して仕事を任せられる」と、私たち“チーム”に対しての定期的な依頼もいくつかある。

が、私がライターとして仕事を依頼しているライターたちの中に、もともとプロのライターとして働いていた人はひとりもいない。

在宅業務の求人をかけたところ、シングルマザーや介護中の方、妊娠中の方といった「外に出られないけれどお金を少しでも稼ぎたい」という人が多く集まってくれた。

これは予想していたことで、むしろ、こうした方々が応募してくるだろうと見越していた。私はライティングを教えることができるので、教えれば大丈夫と思っていた。

「根気」と「パソコン」と「ネット環境」を条件として絞り込んで、適合した人は未経験者でもひとまず契約した。

文章だったら誰でも書ける。それを「記事」として当てはめられるかどうか。それは根気だけの問題、と、自分なりに判断した結果だった。

「WEBの記事とは」という考え方を頭に叩き込むところから始め、最初のうちは徹底的に記事をチェックして細かく細かく指導する。

「ブラウザって何ですか?」という人には「これがブラウザです」というところから教える。

「在宅で稼ぐ目的」がある人たちなので、ライティングを教えるとしっかりと勉強をして真面目に取り組んでくれる。向き不向きがある仕事なので、挫折してしまう人もいる。けれど、半年続けられた人は「WEBライター」と名乗れるほどに成長してくれる。

チームとして引き受ける案件は、書くことがすべて見出し単位で決まっている案件でも、私のディレクション費用を差し引いても1文字1円は絶対に切らない報酬設定でしか引き受けない。

それでも、私たちチームは成り立っている。真摯にメディアを作ろうとしているクライアントが増えてきている。

変わらない一面がある一方で、私は、確かにWEBメディア界隈が変化し始めているのを目の当たりにしている。全く変わっていない訳じゃない。少しずつ、変われる人から変わり始めている。

 

私がブラックアフィリエイトで溺れ死にそうになった人間だからわかるけれど、0.1円仕事は、どこか、自らの尊厳のようなものを削り落としていっているような気になる。もちろん、ならない人もいると思うけれど、その仕事をこなして「何かを積み上げている」という気持ちにはならないと思う。

私のもとで働いてくれているライターたちは、仕事を任せれば任せるほどキラキラと輝いてくる。ほとんどチャットでしか話さないけれど、使う言葉が明るくなって、仕事に対してどんどん前向きになって、自分の記事がメディアに掲載されてとても喜んでくれて。

あるひとりの人なんて、前向きになりすぎて、自立して社会に戻っていってしまった。成長が目覚ましい人だったのでとっても惜しい思いだったけれど、「あなたのおかげで、前向きに考えられました」だなんて言われたら、もうお祝いの言葉を贈るしかない。

仕事って、こういうものであってほしい。

「お金をいただいている」というこちらの思いと、「仕事をしてもらっている」というあちらの思いとがあって、どちらもが「良い物を創ろう」と思って前を向けるような。

 

これは考えてもみなかったことだけれど、シングルマザーや介護中といった「家を離れられないけど働きたい」という人に仕事を教えてお願いするということが、社会貢献になっていたらしい。

そちらに関して最近になって評価されるようになり、少々どころではなく驚いている。

けれど、確かにそうだ。0.1円案件だって、恐らくはそうした事情を持っている人たちが仕事が欲しくてやっていることだろう。需要は大きくある。

そして、「きちんと書いてくれるライター」を求めているメディアも増えてきている。供給も少しずつ増えてきている。

このまま、「ライティングディレクター」というビジネスをもっともっと確立して、大きくしていけば、0.1円案件のような案件も少しずつ減らせるんじゃないだろうか、と、夢を持って働いている。

夢を持って働くのは、いい。体中にエネルギーが満ちて、しびれて、「生きていてよかった!」と思える。やればやるほどエネルギーが溢れてくるので、「じゃあ次!」「もっとやるぞ!」となる。12月前半は少し頑張りすぎて、ここ数日間は風邪で寝込んでいた。肉体が精神についてこれないということは、もう少し筋肉に磨きを掛けなければならないなと思うところ。完治したら筋トレを再開しようと思う。

以前の私は、筋トレをしようだなんて思わなかった。仕事をするのも、食べるのも、生きるのも、何をするのも億劫だった。

夢を持って働くのは、いい。

小さな夢でいい。やりたいことなんてなくていい。

「少しでも副業で稼いで、子どもに何か買ってあげたい」

「介護中だけど、お小遣いを稼いでほんの少しだけ自由がほしい」

そういう夢があればいい。そういう夢を叶えられる社会がいい。

来年はもっと、そうした社会を広げていけるように。もっともっと、頑張りたい。