底辺ネットライターが思うこと

思うことをひたすら書くだけ

少しの後悔で繰り広げられる悪夢

昨日、マンションのロビーまで母がカレーを持ってきてくれた。

夫は友人の結婚式のために田舎に帰っていて一人。自分のための夕飯を作るのはとても億劫だ。なんてすばらしいタイミングで持ってきてくれたのだろう。ありがたい気持ちでいっぱいで、受け取りにロビーまで降りた。

カレーを受け取ると、母が言った。

「来月、田舎に帰る分の飛行機のチケットなんだけど、お父さんの分も用意しておいてくれない?」

母はパソコンが苦手なので、私がいつも飛行機のチケットを代わりに取ってあげていた。

「今回はお父さんも一緒に帰るのかぁ。わかった、取っておくね」

私はそう返事して、カレーを持って部屋に戻った。部屋には父が横たわっていた。

父は癌で死にましたと、医者が言った。けれど、父の姿はとてもきれいで、むしろ闘病していたさっきまでよりもずっと健康的な肌色をしていて、とても死んだようには見えなかった。

私は父の肌を触った。冷たい。冷たいけれど、人の肌の感触。柔らかい。死んだ人の肌だなんて思えない。

父の肌をぐにぐにと揉んでいると、父は起き上がった。

「ああ、やっぱり死んでいなかったんだ」

父は何も喋らないけれど、はっきりと目が開いているし、口元も薄らと笑んでいる。死人がこんな顔をするものか。父は死んでなどいなかったのだ。

もう死亡届を出してしまったし、癌が治ったわけではないから、父はいつ死んでもおかしくない。と言うよりも、社会的に見たら死人だ。死人である父に、意識があるうちに人生の最期の時間を楽しんでもらおうと、思った。

父が自分の仕事のクライアントを呼んで飲み会をしたいと言うから、私は居酒屋を手配した。スーツ姿の私の知らない人たちが8人か、9人ぐらい。父を裏切ったあの人の連絡先は知っていたけれど、呼ばなかった。父に「呼んだ方がいい?」と確認することすら、ためらわれた。

死人である父の残された時間は少ないはず。だから、裏切って父に悲しい思いをさせた人なんて、除外。仲間外れにしてやることが、精いっぱいの復讐。

私は父のためにクライアントたちをもてなした。私の前に座っている人が煙草を咥えたからテーブルの上にあったライターで火をつけてあげたら「もしかしてお水の人?」だなんて言われた。「違いますよ」と笑いながら、私はその人たちとお酒を酌み交わした。

父は私と一番離れた席に座っていた。ずっと微笑んでいる。

(良かった、楽しいんだなぁ)

ところで、父の飛行機のチケットはどうしよう。LCCで問題ないだろうか。LCCは安いところがとっても魅力的なんだけれど、席がとても狭いから、死人の父に何か問題が出ることはないだろうか。そこで倒れて、とうとう死人になってしまうなんてことはないだろうか。

「ねぇ、お父さん、どうしよう」

そう問いかけても、父は何も答えてくれなかった。ただずっと笑っている。

「ねぇ、お父さん、どうしよう」

私は何度も問いかけた。父からの返事はない。

「もう、勝手に決めちゃうからね」

父は何も言わない。父は何も言わない。何も言わない父の腕に触れた。

冷たい。この世の物とは思えないぐらい、冷たい。

私はこの肌の冷たさを知っている。知っている。そう、私はこの冷たい肌に触れたことがある。

そうだ。あそこだ。父が運ばれた霊安室。すっかり死人の顔をした父がいたあの霊安室

そうだ。霊安室に父はいた。すっかり生気を失った父がいた。冷たくなった父がいた。私はそれを知っていた。覚えている。けれど、父は生きている。すっかり冷たくなったけれど、父は私の目の前にいるじゃないか。

私の目からぼろぼろと涙が流れ始めた。

「お父さん、生きてるよね?」

父は何も言わない。どれだけ揺すっても、何も言わない。肌は冷たい。恐ろしいほど冷たい。そんなのとっくにわかっていたはず。

わかっていたはずなのに私はどうして、父が生きていると錯覚したのだろう。否、錯覚じゃない。今、私の目の前に父がいるじゃないか。

目の前にいる、父の肌を揉む。冷たい。冷たい。どんどん固くなっていく。死亡届を出して社会的にいない人となりながらも意識を保っていた父が、死人になっていく。

どうしよう。どうしよう。父は医者が死んだと言ったあの時に死んだとわかっている。わかっている。わかっているけれど、今、私は父に触れている。触れているのに、死んでいる。もう燃えてしまって、この世にいない。この世にいない。わかっているのに。わかっているのに。どうして。どうして。

どうして。

ああ、そうか。

私は今、ベッドの上にいるんだ。これは、現実ではないんだ。

これは、現実ではないんだ。

現実ではもう父は。

そう考えていると、眼球に鈍い痛みを感じた。その痛みで私は目を覚ました。ベッドの上のいつもの光景。私の頬にはすでにたくさん泣いた跡がたくさんあった。

ああ、また夢を見て泣いてしまった。頬を拭いながら、悲しみの余韻に浸って枕を抱きしめた。

私の眠りは浅い。現実と夢の境目がとても曖昧。だから悲しい夢は現実のように悲しい。もし現実のように思考が自由になればその悲しみから逃げることだってできる。嘘は嘘だとすぐにわかるし、認めるべきこと受け入れるべきことをはっきりと理解して自分に言い聞かせることができる。

けれど、夢の中の思考は決められたシナリオに従うように自由にならない。嘘だとわかっていることを嘘だと理解することができない。テレビの中に閉じ込められて、無理矢理ドラマを演じさせられているよう。

こうした夢を見るのはいつものことだから、こうやって泣きながら目覚めることは珍しくない。自分の悲鳴で起きることがなくなった分、ましになった。

母がカレーを持って来てくれたことは、本当の出来事だ。昨夜、「たくさん作ったから」と持って来てくれた。

その時に、今週末に検査を受けることを伝えた。病院までのバスの本数が少ない上に乗り場がややこしいので、できれば車で送ってもらえたら嬉しい、とお願いをした。

母はうろたえながらもしっかりとした正常性バイアスを持っているようで、「大丈夫よ、お母さんだってその辺が痛くなることがあるけど、今まで元気だし」と、根拠のない理由を並べ立てた。

私はその理由に根拠がないとわかりながらも「そうだね。大丈夫だよ」と頷いた。

その時の母の顔が、平然を装いながらも戸惑っていたのがわかってしまったから。きっとあの時の母の頭の中には、父との闘病の記憶がありありと蘇っていただろう。だから、あんな顔をしながら、根拠のない理由を並べ立てて笑ったんだろう。

母がうろたえないようにできるだけ軽いノリで伝えたつもりだったのだけれど、やはり大きな病院にわざわざ行って検査という衝撃は小さくはなかったようだった。

「ちょっとぐらい大変でもバスで行けば良かった」という後悔と、母の顔が脳裏に焼き付いてしまって、こんな夢を見てしまったんだろう。

私は夢が怖い。忘れていた考えないようにしていた悲しみや恐怖を今起こっていることかのように何の前触れもなく突き付けてくる。過去は夢ではなく現実なのだと突き付けた上で、未来にはもっと悲しい現実が広がっているのだと言うように、リアルなドラマを繰り広げる。

かと言って、眠らないわけにはいかない。何年も前にクラウドファンディングで開発資金を募集をしていた「眠りをコントロールするアイマスク」。なんと2時間の睡眠で8時間分の睡眠効果が得られる上に、夢をコントロールして明晰夢を見せてくれるというのだ。300ドルと少しの投資で商品が出来上がったら送ってくれるということだったので、私はためらいなく投資した。

出来上がって届いた品物が今自宅にあるが、そんな効果はなかった。アイマスクとしての質も相当酷い物だった。

たかが夢の話をしたって、恐怖は誰にも伝わらない。「夢で良かったね」とすら言われる。確かにそうなのだけれど、違う。私がわかってほしいのはそういうことじゃない。今私がリアルにありありと恐怖を感じていてそこから逃げたいということだ。

これまでこんな話をしてわかってくれたのは、夫とカウンセラーぐらいだ。いつもならこういう時、起き抜けに夫に夢の話する。今日は夫がいないので話す相手が誰もおらず、こうしてブログにしたためて恐怖から逃れようとしている。

ああ、夢も見ずぐっすり眠りたい。