底辺ネットライターが思うこと

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やりたいことがないという自由

先日、友人三人とコストコに行ってきた。

一枚のコストコカードで入れるのは同伴者二名までだが、プリペイドカードを購入することで人を一人招待することができる。この裏技(というほどの物でもないけれど)を使って、四人でコストコに入った。

夫と二人で行くのはいつも土日祝日のどれかになってしまうので、平日のコストコはとても新鮮だった。いつも、大きなカートがすれ違えるか違えないかのぎりぎりを歩かなければならないところを、縦横無尽に行きたいところへ行けた。平日のコストコはすばらしいと感動した。

コストコには、大きな肉が売られている。鶏は丸ごと、牛も豚も見たことないようなサイズのブロックで陳列されている。

私はこうした肉を見て、毎回「買ってみたい」と思いつつ、スルーする。

それは私が類稀に見る不器用だからだ。

こんな大きな肉を買っても、私は解体できない。今しがた、夕飯の用意で鶏胸肉を薄く切ることにチャレンジしてきたけれど、きれいに一枚の薄い肉にはならなかった。厚さがまばらでところどころちぎれてしまっている無様な薄い肉が出来上がった。無理矢理、ベランダで採れた青紫蘇とチーズを巻き込んで、鍋に放り込んできた。焼いてまとめてしまうという荒業だ。何年主婦業をしても、手先だけは器用にならない。縦には無駄に大きいくせに、それとは不釣り合いなほど小さい私の手は、何をやらせても不器用だ。

私は、友人に言った。

「こんな大きな肉買っても、解体できないしなかなか買えないよね」と。

それに、一人の友人がこう答えた。

「私、できるよ」と。

私はその言葉に衝撃と感動を覚えた。

その友人は、高校時代からの友人で、「何のとりえもやりたいこともない」子だった。多趣味ではあったが、その趣味のどれもが「下手の横好き」で、上手な物がなかった。

ここで断っておくと、私は決してこの子が嫌いとか、見下しているとかそういうわけではない。冷静に彼女の能力を見て判断した結果がこうだ。その子自身、自分の能力を把握していたし、それでもそれを悲観せずに前を向いて生きていけるとても心根が強く優しい子だ。野心と言う物を持たず、今の生活の中に満足できることを見い出し、幸せに生活している。最近は、「彼氏からメールの返信が来ない」と嘆いているけれど。

彼女は高校を卒業する時、「働けるなら何でも」と言って、近所のスーパーの精肉コーナーにパートとして入った。

私は当初、「何か目標を持って将来を考えた方が…」と偉そうにのたまっていた。彼女自身、「私、ずっとお肉を切って生きていくのかなぁ…」と悩んでいる時期もあった。「好きなギターで何かできたら」と言って、うっかり私とバンドを組みそうになってしまったこともある。(当方、ボーカル)

が、10年近く経った今、彼女は肉を解体できるというスキルを手に入れた。そしてそれを振るうことに躊躇いを一切持っていなかった。

「私、できるよ」と言った時、彼女は自信に満ちていた。初めて、自信を持っている彼女を見た。輝いて見えた。今でも、コストコの肉コーナーに立っている彼女の姿が目に焼き付いている。

彼女はやりたい事がないと言いつつ、時にそのことに迷ったりもしながら、ひたすら肉を捌きつづけた。そうして、彼女は「肉を捌くスキル」と「自信」を得た。

パートではあるものの、精肉コーナーのチーフとして働いているらしい。時給も上がり、趣味にお金を注ぎ込めると言ってとても嬉しそうに楽しそうに生活している。

これは素晴らしいことではないだろうか。

「やりたいことがない」という嘆きはよく聞かれる話だ。そうした嘆きには「じゃあ、色んなことにチャレンジして、やりたいことを見つけよう!」というアドバイスが付いて回る。

けれど、そうではない答えもある。

やりたいことがなくても、やりたくないこと以外のことを続けていれば、それが将来に繋がることがある。「やりたいこと」に固執するよりも、ずっと心が自由で、どこにでも行けるんじゃないだろうか。

私は「やりたいこと」があって、それに向かって努力をして、一度は夢を叶えた。けれど、結局今は思い描いていた場所とは全く違う場所にいる。今の場所にそれなりの幸せを見い出せてはいるけれど、願った場所とは違う場所だ。

そして、今でもずっと「自分のやりたいことや得意なことでお金を稼ぎたい」と思い続けている私は、彼女より不自由だ。自分の思い描いたビジョンを目指すことしかできない。そんな不自由な私に仕事を下さる方は、本当に神様のように思える。ありがとうございます。

彼女はまだ結婚していないが、間違いなく「良い妻」になれるのは彼女の方だ。鶏の胸肉すら捌けない私より、彼女が作る料理の方が絶対においしいし、パートなりに良いお金を稼いで来てくれる。

対して私は、結婚して五年近く経つ今でも、鶏の胸肉すらきれいに捌けない。味付けにはそれなりに自信があるけれど、「見た目がおいしいご飯」という物がとにかく作れない。厳密に言えば、肉の切り方によって食感も変わるだろう。最高においしいご飯を作ることは、多分私にはできない。事もあろうか、休日の朝食は夫に作ってもらっているほどだ。これは「良い妻」ではないだろう。それをわかりつつ、私は上手に肉を捌く練習をすることができない。怪我したら痛いし。

高校を卒業して十年近く経った今になって、彼女のおかげでようやく「やりたいことがないことの素晴らしさ」を痛感した。

こんな素晴らしい側面を持っているのだから、「やりたいことがない」なんて悩まなくていいと思う。ただ、生きていくために「別にやってあげてもいい」ことさえ見つけることができれば、未来は明るいのかもしれない。